国家民族の誇り
待望の先制点はしかし、悪夢の入り口だった。クロアチアの失点は先制からわずか66秒後。ボバンが自陣ゴール前でボールを失い、リリアン・チュランに同点ゴールを蹴り込まれた。勢いに乗るフランス、焦るクロアチア――。
最初の失点から22分後、ついにスコアをひっくり返される。再び攻め上がったチュランに決められて1-2。クロアチアの面々は、がっくり肩を落とした。
5分後、フランスのDFローラン・ブランが一発退場。数的優位に立ったものの、総攻撃をかける余力は残っていなかった。結局、スコアは動かずにタイムアップ。失意のクロアチアは3日後の3位決定戦に回った。
相手はオランダ。準決勝で王者ブラジルに屈した。それもPK戦の末に敗れるという、心身両面でダメージの大きいものだった。
結果、銅メダルを手にしたのはクロアチアである。2-1。オランダを突き放す決勝点は、またもシュケルの左足から生まれた。
クロアチアの放ったシュートは、わずか5本。オランダの4分の1に過ぎない。それでも少ない決定機を物にする強みが際立った。
全7試合で6ゴールを量産したシュケルは、得点王の栄誉を手にする。しかし、本人の喜びは別のところにあった。
「得点王よりも、銅メダルがうれしい。命を落とした多くの人々を思うと、中途半端な結果では終われなかった」
クロアチアの独立をめぐり内戦が勃発。祖国は戦火にまみれた。シュケルの故郷オシエクは、激戦地の一つだった。
あの忌まわしい争いにピリオドが打たれてから、ほんの数年しか経っていない。シュケルを含む、チームの面々には、この大会に懸ける強い使命感があった。
「いったい、僕らに何ができるのか。そう考えたとき、国民が誇りにできるような何かをもたらしたいと思った。代表チームの快進撃を、国家の再生と発展に重ねる。僕らはその一念でプレーした」
シュケルの言葉は、仲間の思いを代弁するものでもある。天賦の才に加え、同胞に寄り添い、祖国を愛する強い気持ちが、チームを駆動していた。
苦しみを経ての独立から7年目の夏。クロアチアに歓喜と誇りをもたらした快進撃は、輝かしい未来を暗示してきた「黄金世代」の集大成と呼ぶにふさわしかった。
著者プロフィール◎ほうじょう・さとし/1968年生まれ。Jリーグが始まった93年にサッカーマガジン編集部入り。日韓W杯時の日本代表担当で、2004年にワールドサッカーマガジン編集長、08年から週刊サッカーマガジン編集長となる。13年にフリーとなり、以来、メディアを問わずサッカージャナリストとして活躍中