連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、1998年のワールドカップで3位になったクロアチア代表だ。黄金世代の集大成となる大会で、国民に誇りをもたらしたのだった。

87年のU-20世界王者

画像: 後列左からボバン、ラディッチ、ビリッチ、ソルド、スタニッチ、アサノビッチ、前列左からヤルニ、シュケル、プロシネツキ、マリッチ、シミッチ(写真◎Getty Images)

後列左からボバン、ラディッチ、ビリッチ、ソルド、スタニッチ、アサノビッチ、前列左からヤルニ、シュケル、プロシネツキ、マリッチ、シミッチ(写真◎Getty Images)

 クロアチアは2年前のEURO準々決勝でドイツに敗れ、ベスト4入りを逃していた。今回の準々決勝は言わばリベンジ(復讐戦)である。
 ドイツは旧ユーゴスラビア時代からの天敵だ。イビチャ・オシムが率いた1990年イタリア大会の初戦でも、西ドイツ(当時)に1-4と大敗している。

 だが、今回のクロアチアの面々には、若い頃からドイツに対する苦手意識はない。かつてドイツを破り、世界に覇を唱えた成功体験があるからだ。
 1987年に南米チリで開催されたワールドユース(現在のU-20ワールドカップ)がそれである。ユーゴスラビアの若い世代が決勝で西ドイツを破り、初の栄冠を手にしていた。

 この大会のスタメン組のうち、大会MVPに輝いたロベルト・プロシネツキをはじめ、実に過半数の6人がクロアチア人だったのだ。 言わば、最大派閥である。

 ここから、プロシネツキ、ズボニミル・ボバン、ロベルト・ヤルニ、イゴール・スティマッチに、あのシュケルを加えた5人が、やがて独立を果たす祖国の推進力となっていく。まさに「黄金世代」というわけだ。

 1994年から指揮を執るブラゼビッチのクロアチアは、このときのU-20代表を母体にしたものと言っていい。所属クラブは違っても、寝食をともにした仲で、お互いの特徴を知り抜き、世界一の経験を共有している。そこに最大の強みがあった。
 1990年代以降、グローバル化が急速に進み、各国のクラブは多国籍軍と化していく。以前とは異なり、代表チームの母体となる強豪クラブが減ったわけだ。

 結果、離合集散を繰り返す代表チームは、接点の少ない者同士の寄せ集めや、烏合の衆へ暗転するリスクを抱え込むことになった。当然、強化を進める過程において、高度な戦術を組織に落とし込むだけの十分な時間もない。

 ドイツ、イタリア、スペインなど自国のタレントが国内に留まる一部の大国を除けば、事情はどの国も同じである。近年、ブラジルやアルゼンチンなどタレントの輸出大国では、ユース年代のうちに未来の代表のベースを作る流れに拍車がかかった印象だ。

「U-20世界王者の10年後」であるクロアチアは、そんな未来を先取りしていた。やがてポルトガルが同じ手法をもって、一気に台頭することになる。

 ともかく、攻守に高密度で連動する黄金世代は、因縁のドイツに位負けすることなく、互角以上に渡り合う。序盤から何かが起こる予感に満ちていた。
 その結果が、3-0。一方的なスコアによる快勝だった。40分、シュケルの巧みな突破がDFクリスチャン・ベアンスの一発退場を誘い、ドイツを戦慄させるゴールラッシュの引き金となった。
 ヤルニ、ゴラン・ブラオビッチが鮮烈なミドルを突き刺し2-0。さらに85分、エリア内の混戦から、したたかにシュケルが押し込み、粘るドイツの息の根を止めた。

 こうして念願のリベンジを果たし、堂々の4強入り。次のフランスとの準決勝で勝っても負けても、残る試合は2つとなった。

伝統の「ポル・コントラ」

画像: 準々決勝でドイツを下して準決勝へ。写真右はアサノビッチ(写真◎Getty Images)

準々決勝でドイツを下して準決勝へ。写真右はアサノビッチ(写真◎Getty Images)

 至るところでフランスの三色旗が揺れるスタンドが一瞬、静まり返る。スコアは0-1。後半立ち上がりの46分、先制したのはクロアチアだった。

 7月8日の準決勝、舞台はサンドゥニ。立ち上がりから慎重策に徹し、フランスの攻めをやり過ごしたクロアチアは、後半に入ると一転、ラッシュをかけた。
 異才アサノビッチの縦パスからフランス守備陣の背後へ抜け出したシュケルが、GKバルテズをもかわし、無人のゴールへ。クロアチアの誇る弓(アサノビッチ)と矢(シュケル)が見事にフランスの急所を射抜いた。

 堅守速攻――。東欧勢のお家芸と言っていい。システムはいつでも5バックへ変更できる3-5-2。堅陣を固め、球を奪い、手の込んだカウンターアタックから、勝機を探っていく。
 ただし、同じ速攻でも、クロアチアの売り物はロング(長距離)でも、ショート(短距離)でもない。その中間のハーフ(中距離)のカウンターである。

「ポル・コントラ」

 ブラゼビッチは、そう呼んだ。球を奪った後、ひとひねり、ふたひねり加えながら、相手ゴールに迫っていく。この攻め筋のねじれが、敵を煙に巻く「釣り」の機能を果たしていた。
 迷彩を施すのはボバン、アサノビッチ、プロシネツキの中盤トリオ。ここが創造力の源泉だ。さらに後方から一気に左サイドを駆け上がるヤルニが絡み、変化に富んだ速攻へ仕上げるわけだ。

 長く鉄のカーテンに閉ざされてきた東欧の知恵。西の強者に対抗する東の弱者戦術が、この「ポル・コントラ」に集約されていた。
 こうしてクロアチアは大会随一と言うべきフランスの堅陣をこじ開けてみせる。伝統脈打つタレント群の面目躍如だった。


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