上写真=清水商(静岡)のエース、山田隆裕(右)は3年時の90年度大会で『超高校級』のスーパースターとして話題を集めた。横を走るヒザにサポーターをしている選手は、市立船橋(千葉)の脇田寧人。そう、ペナルティのワッキーである(写真◎BBM)
水沼、長谷川から川口、中田へ
かつて関西で開催されていた全国高校サッカー選手権は、1976年度に開催地が首都圏に移ったのをきっかけに、80年代にかけて人気と知名度が飛躍的にアップした。当時ワールドカップ(W杯)はおろかオリンピックにも出場できず、日本サッカーリーグ(JSL)の人気も低かった『冬の時代』において、高校選手権は最大のビッグイベントであり、サッカー少年なら誰もが憧れる晴れの舞台だった。
数々の名チームや名勝負とともに、多くのヒーローも誕生した。初の首都圏開催の大会で優勝に貢献した水沼貴史(埼玉・浦和南)や、80年代前半にスーパースターとして名を馳せた長谷川健太(静岡・清水東)は、それぞれ大学を経てJSLに進み、日本代表でもプレーしている。ただ、93年に開幕したJリーグでプロになっていなければ、注目度は高校選手権がピークになっていたかもしれない。
Jリーグ時代に入ると、高校選手権は『プロ前夜の輝き』が注目される大会となる。93年度大会の川口能活(静岡・清水商)は、優勝に貢献して鳴り物入りでJリーグに進み、プロでも活躍したヒーロー。一方、同年度の大会に2年生で出場した中田英寿(山梨・韮崎)は2回戦で敗れ、注目を集めることはなかったが、プロ入り後は世界へと飛び出し、新時代のヒーローとして脚光を浴びた。