上写真=水戸に育成型期限付き移籍した小川。クラブハウスに姿を見せた(写真◎サッカーマガジン)
希望と葛藤の中での「難しい決断」
U-22日本代表FW小川航基が、J2上位争いを繰り広げる水戸へと活躍の場を移した。7月14日、ジュビロ磐田から水戸ホーリーホックへの育成型期限付き移籍が双方のクラブより発表され、チームに合流して初日のトレーニングマッチにさっそく出場。前半に挨拶代わりのゴールを決めた。
「自分で言うのもあれですけれど、“やる選手”というのは、こういう一発目で(ゴールを)決めたりする。自分はそう思っているし、『(来年の)オリンピックで決められるのも俺しかいない』と。根拠のない自信ですけれど、やれる自信はありますね」
小川の口から出た「オリンピック」という言葉――。来年の東京オリンピック出場を目指して、水戸に新天地を求めた。2017年のU-20ワールドカップや今年6月のトゥーロン国際大会など、世代別代表でも活躍しているが、今季磐田ではリーグ戦出場が5試合のみ。すべて途中出場で、ゴールはない。
「来年に『オリンピック』という大きな、大きな目標があるので、とにかく試合に出なければいけない。そして(代表入りへ)アピールすることが、(五輪出場への)一番の近道になるんじゃないかなと思っています」と、試合出場への意欲を燃やす。
ただ、シーズン途中で磐田を離れることには、小川の中で葛藤があった。J1の下位に沈むチームからの移籍は「難しい決断」だったと言う。そこには、3年半にわたり指導を受けた前指揮官への思いもある。
「名波(浩)さんの期待に応えられなかったのは、すごく申し訳なかった……。(名波前監督を)辞めさせてしまったのは、点が取れていなかったジュビロ、なおかつフォワードの責任だし、その中で自分がしっかりと(ゴールを)決めていれば勝てた試合もあったのかなと。ジュビロがこういう状況で、『得点を取ってJ1に残留させることが自分の使命』だと何度も思ったし、ケガをしていたり、トゥーロンに行ったときなどにジュビロが負けている試合を見ると、『ここで俺がやらないとな』という思いにもなりました。ただ、自分がオリンピックに出ること。そのために、成長した姿をサポーターに見せること。それを考えると、ジュビロに貢献できるのは、今ではまだないのかなという考えにたどり着きました」
186センチの長身を生かした空中戦とポストワーク、そしてゴールの嗅覚を持ち味とする東京五輪世代の大型ストライカーは、決意を新たにJ2の舞台での活躍を誓う。
「(J2は)そんなに甘くないし、球際の激しさだったり、泥臭さだったり、そういうところが特徴的なリーグではないかと。J1にはないものが、J2にはあると思っているし、自分が必ず成長できる要素もあるはず。今はすごくワクワクしています。J1昇格争いという緊迫した中で戦えることは、今までの自分には経験がなかった。そういうチームに加われたことで、この先のサッカー人生がより大きなものになると感じています」
振り向けば、磐田での戦いの日々に後悔はある。それでも、視線の先には来年の東京五輪がある。自国で迎える大舞台で日の丸を背負うため、小川はさまざまな思いを胸に秘めながら、水戸で再スタートを切った。
取材◎小林康幸