上写真=プロ1年目の今季、京都の中盤で奮闘する福岡(写真◎J.LEAGUE)
先輩が再燃させた、代表への思い。
「一番悔しいですよね。韓国相手というのが……」
U-20ワールドカップ・ラウンド16の“日韓戦”から、ちょうど1週間が経とうとしている。6月8日に大宮とのアウェーゲームを終え、NACK5スタジアムの取材エリアに現れた福岡慎平は、我がことのように悔しそうな表情を浮かべながら、言葉を発した。
「(U-20ワールドカップでの日本の)試合は全部、気にして見ていました。自分の同世代の選手もいっぱいいたし、本当に刺激を受けました」
特に、チームメイトであるGK若原智哉の活躍に目を奪われたという。
「智哉くんがPKを止めたシーン(エクアドル戦)だったり、開始早々にチームのピンチを救ったシーン(メキシコ戦)だったり、見ていて痺れましたね。やっぱり、自分もそこ(代表)でやらなければいけない。智哉くんのおかげで、あらためてその思いを強く持つことができました。他の同世代の選手たちも頑張っていたけれど、一番刺激をくれたのは、同じチームの智哉くんでしたね」
1学年上の先輩である若原とは、京都の育成組織からともに戦ってきた。現在もトップチームで、お互いに切磋琢磨する。「優勝して帰ってきてねー」とエールを送ったというが、その思いは叶わず。「智哉くんも悔しそうでした」と韓国戦の敗戦に肩を落とした若原の気持ちに寄り添いつつも、「次へ切り替えていかないと」と、新たな戦いに向けて鼓舞するように言った。その言葉は、自らにも言い聞かせているかのようだった――。
成長の原動力となっている、インドの記憶。
「自分はあそこ(ポーランド)に行けなかったわけですから、この京都でやるしかない。そう気持ちを切り替えて、(来年の)東京オリンピックに向けて準備するだけだな、と」
たいていの選手にとって、一生に一度出られるか、出られないかのU-20ワールドカップ。年齢制限があるため、それを経験できる選手は限られる。福岡も昨年までは、U-20ワールドカップ出場を目指す代表チームに名を連ねていたのだから、大会への思いは強かったことだろう。それでも、招集されなかった一年は、ただひたすら目の前の戦いに向かってきた。
「ここ(京都)で成長して、(代表に)選ばれるように。そして、活躍できるようになりたい」
発する言葉には、さまざまな感情が含まれているようだった。京都で成長する決意と、J2で試合に出ていることの充実感、さらに代表に呼ばれないことへの悔しさと、もしかしたら、かつての仲間たちとともに、再び世界と戦うことができなかった寂しさもあるのかもしれない。
「インドの悔しさを持ちながら、練習をしてきた」。2年前、U-17ワールドカップで福岡とともに戦った菅原由勢は、U-20ワールドカップの大会中にそう言っていた。
「インドの悔しさ」とは、当時ラウンド16で、のちに大会の優勝チームとなるイングランドにPK戦の末敗れた記憶だ。強豪撃破まであと一歩に迫りながらも、最後の最後で及ばなかった。菅原をはじめ、その経験者にとってポーランドでの戦いは、2年前に果たせなかった“16強超え”のためのリベンジの場ともなっていたのかもしれない。
そのときの悔しさは、福岡の心にも残っている。しばらく代表から遠ざかり、彼らと同じ舞台に立てなくても、日本で戦い続ける日々の中で常にその感情を原動力としている。
「僕にとっても忘れられない試合です。あれ以上に強いチームには、まだ出会ったことがない。あのときほど自分の良さを出せなかった試合はないというくらい……。(当時の)イングランド代表には、もうチャンピオンズリーグに出ている選手もいます。あの基準を忘れたことはないし、あの悔しさを忘れずに、常にやり続けています」
福岡は今、そうした思いをJ2の戦いの中でぶつけている。「自分の良さは球際の強さ」と話すように、フィジカルコンタクトでボールを奪うシーンが目立つ。大宮戦では、中盤で屈強なスペイン人FWフアンマとのボールの奪い合いを制し、同点ゴールの起点となった。
「昨年から(2種登録で)トップチームの試合に絡ませてもらって、球際のところはちょっとずつ慣れてきました。しっかり潰して、しっかり(ボールを)さばいたことで、ゴールにつながった。自信になりました」
もう一つ、「自分でも特長だと思っている」というキャプテンシーも、ピッチ上で体現する。フィールドの真ん中で身振り手振り、味方に指示を送り、プレーが止まればすぐさまチームメイトのところへ歩み寄って、戦い方を確認する。
「『キャプテンをやれ』って言われたとしても、すぐにやれるくらいの意識をベースにしていきたい」
そう話す「31」の数字が記された背中は、とりわけ大きく見える。
「あのU-17代表でキャプテンをやらせてもらえたことは、今後にも生かせると思う」
2年前、キャプテンとして世界と戦った経験が、福岡にとって大きな財産となっている。
仲間が味わった無念を、次は自分が晴らすために。
今はただ、目の前の試合に向き合い、そこから学び、成長へとつなげている。
「シーズン前は、(J2の)試合に絡むことを目標としていました。最初の数試合はなかなかゲームに出られなかったけれど、今はちょっとずつ出場できるようになってきたので、スタメンにしっかり定着して、ここ(京都)でJ1に上がって、J1で戦って、そこからまた世界に出ていく。それが、今の自分にある(将来の)イメージです。そのために、まずはこのJ2で優勝して、J1に上がらなければ意味がない。自分の良さを出して、いろいろなことを学んでいけたらいいなと、今年は思っています」
そんな福岡を起用する中田一三監督は、その技術の高さとメンタルの強さを評価しつつ、今後への期待を込めて「勝敗を決めるようなプレーが試合の中でしっかりと出せるようになってきたら、もっともっと頼もしくなる」と話す。
実際に、大宮戦では「自分のところにもプレスがガツガツ来て、うまく前を向けなかった」と反省するように、京都を勝利へ導くことはできなかった。中田監督が言うように、福岡はまだチームを勝たせる選手にまでは、たどり着いていない。ただ、その課題に向かって成長を続ければ、京都に、そして日本に歓喜をもたらす選手になっていくことだろう。
「(U-20韓国戦で)日本が(得点を)決めていれば、勝てたというシーンはあった。ほんのわずかな差ですけれど、そこを詰めないと、(世界の)ベスト8には進めないんだなと、見ていて感じました。東京オリンピックではそうならないように、自分もそこで(チームに)入っていけるような存在になっていきたい」
U-20ワールドカップの韓国戦の教訓を自らも受け止め、そして将来を見つめる――。代表に返り咲き、再び世界と戦う日を目指して、福岡慎平は京都で戦い続ける。
文◎小林康幸