2018-2019シーズンの序盤に難しい時期を過ごしたマルセイユが復調の兆しを見せたのは年が明けて、一カ月が経過してからのこと。昨夏の獲得交渉で決裂していたマリオ・バロテッリがついに加入し、日本代表の一員として1月にUAEで開催されたアジアカップに参加した酒井宏樹がフランスに戻ってからだった。チームの中心にいた酒井宏樹とマルセイユの2018-2019シーズン総括後編。現地記者が綴る。

上写真=リーグアン最終節で月間MVPの表彰を受けた酒井(写真◎Getty Images)

尖った長所を円に近づける酒井の役割

 マルセイユが負のスパイラルにはまり始めたのは、おそらくラツィオに敗れ(●1-3/●1-2)、ヨーロッパリーグ(EL)のグループステージ突破の希望が薄れた10月末あたりからだった。パリ・サンジェルマン戦など、難敵との試合で振るわず(●0-2)、決勝トーナメント進出が難しくなったELで大幅に選手を入れ替えて臨み、フランクフルト戦では0-4、アポロン戦では1-3と惨敗したことで、チームは一層悪いムードに引き込まれていった。

 この期間、酒井は故障で数試合を休んでおり、偶然か否か、酒井が故障やターンオーバーで出ていなかった試合で、マルセイユは決まって負けている。そして、アジアカップに出場するためにマルセイユから旅立ったあと、チームは1月6日にはフランスカップで4部クラブのアンドレジューに敗れるなど(●0-2)、苦しい1カ月を過ごすことにもなった。その間に戦った7試合で、最終的に2部に降格したカーンに対する1勝しかできなかったのだ。10月末から年末までの13試合で1勝1分け11敗という惨憺たる結果を残していたが、それでもまだリーグ戦の順位はトップ6位あたりに踏みとどまっていた。それは国内外のカップ戦での敗戦が多かったからだった。

 しかし酒井不在の1月5日から2月2日まではリーグ戦で1勝1分け3敗と負け越した。このままずるずると後退するかと思われたが、アジアカップを終えてチームに戻った酒井が2月5日のボルドー戦で復帰。全体練習は1日だけという強行スケジュールで、いきなりフル出場した酒井は、この試合で躍動感あふれるプレーを見せる。そしてトゥヴァン、パイエら主力を6人も欠きながら、1-0の勝利をもぎ取った。この試合は2節のニーム戦に続く、シーズンの第2のターニングポイントとなった。

「アジアカップ決勝で負けたので、すぐに気持ちを切り替える必要があった中で、試合があって逆に助かった」。試合後に酒井はこう語っている。そしてこの試合を機に、マルセイユは3月半ばのパリ・サンジェルマン戦までの6試合を5勝1分けで駆け抜けた。酒井の帰還とともに見逃せない要素として、1月末についに頼れるストライカーであるマリオ・バロテッリが加入したこともあるが、酒井が戻ったことで不安定だった守備陣が自信を取り戻し、安定したことも大きかった。

「やはりマリオ(バロテッリ)が入ったことが大きかったと思う。相手にとってあれだけ脅威を与えるFWだし。元々、僕らはチャンスを作るところまではできていたから、あとは仕上げる人が欲しかっただけだから」

チームが2月から好転した理由を、酒井自身はこう分析したが、その一方で自分がチームに戻ってから負けていない、と言われていることに関しては、「かなり関係ないと思うけど、みんながそう言ってくれる」と笑って、こう続けた。

「そう思ってもらえるように頑張るしかない。微力だとは思うけど、選手が変わって空気が変わる、というのも大事だと思うから」

 確かにシーズンの前半戦は、絶好機を作ってもフィニッシュ役のFWが決め切れず、勝ち星を落とす悪いサイクルにはまっていた。そんなチームに決定力があり、「いるだけで怖い」FWバロテッリが加入したことは大きかった。ただ、バロテッリほどには目立たないものの、酒井の存在が安定感やリスク管理の面でマルセイユに重要なプラスを与えたことも事実だ。

 ヨーロッパで、サイドバックはとくに攻撃力という点で評価されがちだが、3シーズン目を戦った酒井は、常に頼みにできる、パフォーマンスに波の少ない選手として評価を得るようになった。派手さはなくとも堅実で、パスミスはほとんどなく、思慮深さとハードワークを毎試合、保証してくれる陰の功労者。才能を持っていてもムラがある選手が多い中、酒井はチームに不可欠な選手として、いまやサポーターにも、その価値をはっきりと認識されている。

「僕の長所はそこだと思う。安心感、安定感を与えるということ。難しい局面に持ち込まないのがいい選手だと思うし、それを目指している。11人が違う個性を持っていて、それをつなぎ合わせてチームになる。僕の役目は、個々では尖っているみんなの長所をすり合わせ、円に近づけていくことだと思っている」

『お気に入りのサムライ』のゴール

画像: アジアカップから戻り、ボルドー戦に出場して勝利に貢献した酒井

アジアカップから戻り、ボルドー戦に出場して勝利に貢献した酒井

 2018-2019シーズンのホーム最終戦、試合開始前のベロドローム・スタジアムで、酒井はマルセイユの月間MVPのトロフィーを受け取った。最終節の一つ前のトゥールーズ戦で、フランス・リーグアンでの初得点を決め、追いつかれたあとに、今度は3-2とする勝ち越すゴールをアシストしていたのだ。その日のプレーについてはフランスの老舗スポーツ紙『レキップ』でも大きく扱われ、優秀選手を取り上げる『トップ』選手にもピックアップされていた。

 チャンスを逃さず左足で決めた鋭いゴール、ボールに追いつくや迷わず放ったピンポイントのクロス――この日ばかりは派手な結果を評価されての月間MVP受賞となったが、それは図らずも酒井がシーズンを通し見せた、苦しいときにも頑張り続ける姿勢、チームを支える献身に対する報いのようでもあった。

「ELのゴールのときもそうだったけど、仲間が、自分が得点したかのように喜んでくれたことがすごくうれしかった」

 酒井の働きぶりに、仲間も感謝している証拠だろう。ゴールのリプレイを見せながら、テレビの解説者は「献身的な『われわれのお気に入りのサムライ』は、この褒美に値する」とコメントした。

 苦しかったシーズンの終わりに、「ようやくマルセイユらしい試合」を披露し、通常はあまり自分でシュートを打たない酒井が、迷わずに蹴り込んでリーグアン初ゴールを決めたことは、あらゆる意味で象徴的だった。今シーズンのチームの成績は振るわなかったが、酒井個人は、昨シーズンより一歩前に進んだように見える。

 勝てない時期に、酒井は「きついけれど、楽しみでもある」と言っていた。「ここまでマルセイユで常に上がってきた。いまは苦しいけれど、ここで諦めたり投げてしまったら、もうその選手の成長はないと思うから」。

 2月から息を吹き返したマルセイユは、それでもやはり全快というわけにはいかず、3月半ばのパリ・サンジェルマン戦に敗れたあとで、再び勝ち点を取りこぼし始めた。冬の不振のつけは大きく、ラストスパートでも勝利を重ねることができなかったために、36節でリヨンに敗れた時点で欧州カップ戦に出場する望みは絶たれてしまった。

 しかし酒井は、そんな中でも、しっかりと前を向いていた。昨シーズンのEL決勝で敗れ、最後の最後にCL行きの切符を逃したあとには「何も得られないシーズンだった」とうなだれていたが、今回は「苦しいシーズンだからこそ、学ぶものは多い」と言った。

「苦境の中でトライできる選手か、できない選手か。仲間の中で、誰が諦めない人、信頼できる人かも見定められた。こういうシーズンがあることは、成長にとっては大事なこと。キャリアに『失敗』はない。それは常に次の成功のための、失敗なのだと思う」

『僕らの愛するサカイ』は成長している

 前述の初ゴールの翌日、地元の有力紙『ラ・プロバンス』は、『僕らの愛するヒロキ・サカイ』と題した特集を掲載し、「あの得点は彼の成長の象徴である」と書いた。この文章を書いたマリオ・アルバノ記者は、入団当時の酒井にかなり厳しい評価を下していた人物なのだが、「酒井の成長は、彼が責任を引き受けるようになったことにある」とも書き添えている。

 昨季までの酒井は、トゥヴァン、パイエなど才能あふれる選手たちについていくのがやっとという感じがあり、自らも「いつも一杯いっぱい。才能で劣る分、僕はとにかく毎試合100パーセントを振り絞ってがむしゃらに頑張るしかない」と話していた。しかし、2018-2019シーズンの酒井は、チームが苦しい中でもブレることがなかった数少ない選手の一人となった。プレーで周囲を引っ張るリーダーシップさえ見せ始めていた。

「そういう点では確かに余裕は出てきた。すごく苦しい中でもプレーしていて楽しむことができたし、目がかなり成長した点は、自分のプレーの中で、良くなっているところかなと思う」

 言葉は相変わらず控えめだが、スタジアムで彼の名を呼ぶサポーターの声は、ますますはっきりと、大きくなりつつある。

 またすぐに新しいシーズンがやってくる。マルセイユは、最終節の4日後、5月28日に、ポルトやチェルシー、トットナムなどで指揮を執り、かつてジョゼ・モウリーニョ2世と呼ばれたポルトガル人監督、アンドレ・ビラス・ボアスを新監督として迎えた。ルディ・ガルシア前監督の絶大な信頼を得ていた酒井だが、新シーズンを迎えるにあたってはまず、新監督の信頼を勝ち取るところから始めなければならない。

酒井とマルセイユの第一章は終わった。そしていま、第二章が始まろうとしている。

文◎木村かや子 写真◎Getty Images


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