上写真:92年アジアカップ決勝のサウジアラビア戦の前に、ユニフォーム姿でピッチに現れた森保。実はこの試合、出場停止だったのだが…。
写真◎BBM
UAE(アラブ首長国連邦)で開催されているアジアカップはグループステージが終わり、決勝トーナメントに突入。森保一監督率いる日本代表はグループFを3戦全勝の1位で突破し、日本時間21日20時からのラウンド16では、グループE2位のサウジアラビアと対戦する。
サウジアラビアは27年前の1992年、地元の広島でアジアカップ初優勝を果たしたときの決勝の相手。当時、中盤の一角で日本代表の勝ち上がりに貢献しながらも、決勝は出場停止だった森保は、なぜか試合前にユニフォーム姿でピッチに姿を見せた。その理由を振り返ってみると…。
ボランチとして攻守に奮闘
日本代表史上初の外国人監督であるハンス・オフト氏が就任したのは、1992年3月。就任と同時に日本代表に選出され、5月のアルゼンチン戦で国際Aマッチデビューを飾った森保は、中盤の底で攻守のつなぎ役となるボランチとして頭角を現した。当初は浅野哲也とポジションを争い、優勝した同年8月のダイナスティカップでは控えに甘んじていたが、浅野がメンバー外となったアジアカップでは森保がレギュラーとなり、開幕から先発フル出場を続けていた。
開幕から苦戦が続きながらもグループステージを突破した日本は、続く準決勝で中国と対戦(当時は8カ国の参加だったため、決勝トーナメントは準決勝から)、3-2で競り勝って決勝進出を決めた。しかし、この試合で大会通算2回目の警告を受けた森保は、決勝のサウジアラビア戦は出場停止となってしまう。
一方、この大会を撮影していたフリーのフォトグラファー有志の間では、中盤の底で見せる獅子奮迅の活躍に『MVPは森保』という声が強まり、何か形に残るものを渡して称えたいという意見が出ていた。そこで、市販のオルゴール付きフォトスタンドに写真を入れた〝大会MVP楯〟を製作することに。
さらに関係者に頼んで、決勝の前に簡単な受賞式も実現することになった。試合前、森保がユニフォーム姿でピッチに姿を現したのは、このためだったのだ。急ごしらえで作られた楯を受け取り、記念撮影も行なった。
森保の代わりにラモス瑠偉をボランチに置いた日本は、大会3連覇を狙ったサウジアラビアを1-0で下し、初優勝を飾る。試合後は森保もユニフォーム姿で場内を一周し、チームメイトと喜びを分かち合った。
森保の『大会MVP』は、もちろん非公式で、公式のMVPはカズ=三浦知良だったのだが、森保本人にとっては強く記憶に残る受賞となった。のちにサッカーマガジンの取材に答え、当時の楯が自宅に大事に飾ってあることを明かし、「いただいたときは、すごくうれしかった。僕のキャリアの大きな財産です」と振り返っている。
日本代表の指揮官として、現役時代に続くアジア制覇に挑んでいる森保監督は、27年前は出場できなかったサウジアラビアとの一戦で、どんな采配を見せるのか。当時の自分自身のように、優勝に貢献して『陰のMVP』と称えられる選手は現れるのだろうか。