上写真=史上最多となる4度目の優勝を飾った日本代表
写真◎Getty Images

 今夜、UAE(アラブ首長国連邦)で開幕するアジアカップ。森保一監督率いる日本代表は9日のグループステージ初戦を皮切りに、2大会ぶり5回目の優勝を目指すことになる。そこでサッカーマガジンWEBでは特別連載として、史上最多となる過去4回の優勝を大会ごとにプレイバック。第4回は、幾多の苦闘を乗り越えて、史上最多優勝を成し遂げた、2011年のカタール大会を振り返る。

過信から自信へ

 思い返せば、2011年当時の日本も「アジアで勝って当たり前」のチームと見られていた。2010年の南アフリカ・ワールドカップにおいて、日本はアウェーの同大会では初めて決勝トーナメント進出を果たしていた。ラウンド16でパラグアイと死闘を演じ、PK戦の末に惜敗したものの、自国開催だった02年大会以来の16強入りを成し遂げた事実が、日本の着実な進歩を印象付けた。

 2011年のアジアカップは、それから半年後にカタールで開かれた。自然、W杯で8強にあと一歩まで迫った日本がアジアで負けるわけはない――と見る向きも多かった。そんな空気がチームの外だけではなく、内部にも漂っていたのかもしれない。
 日本は初戦からピリッとせず、苦しい戦いを強いられることになった。日本サッカー界においては悲劇に見舞われた地として記憶に刻まれているドーハで迎えた初戦。ヨルダン相手に、アディショナルタイムまでリードを許す展開となる。

「周りから見ていた人にワールドカップやその後のアルゼンチン戦(ザックジャパンの初戦で1-0で勝利)のような必死さがないと言われても仕方がない。実際、ピッチの中にいても、もう少し厳しさが必要だと感じた面もある」

 試合後の長谷部誠キャプテンの言葉が日本の状態を表していた。チーム内に漂っていたのは慢心か、過信か。日本が評価を高めたのは挑戦者の姿勢で臨んでいた大会や試合であり、優勝候補として臨むアジアカップでは勝手が違った。日本包囲網の中で戦うことにもなった。
 挑戦者としてのアグレッシブさが失われていた日本は、受けに回って後手を踏む。アディショナルタイムにショートコーナーから長谷部のクロスに吉田麻也が頭を合わせて辛くも追いついたが、内容は負け試合と言ってよかった。

 続く2試合目のシリア戦も再び厳しい戦いになる。長谷部のゴールで首尾よく先制したものの、追加点を奪えず、76分にGK川島永嗣が退場となって相手にPKを与えてしまう。川島がエリア内で倒した相手FWのマルキは明らかにオフサイドポジションにいたが、今野泰幸のバックパスと判定される不運もあって退場を宣告された。
 初戦を苦しみながら引き分けに持ち込み、2戦目は良い状態でスタートを切っていた。しかし、試合終盤に『中東の笛』で追いつかれるという苦しい展開。日本はまたも試練を突きつけられたのだった。
 ただ、日本は初戦を経て、チームとして本来の姿を取り戻しつつあった。

「ここで後ろが崩れたら逆転負けの可能性もあると思ったから、麻也と集中してやろうと話していた。2点目を取られることだけは避けたかったから、まずはしっかり残って、バランスを取りながらチャンスがあれば出て行くスタンスでプレーした」

 失点に絡んでしまった今野が振り返った通り、チームはピンチにも冷静だった。川島退場で前田遼一に代わってGK西川周作を投入。本田圭佑を1トップに据える形(4-2-3-1→4-4-1)で、しっかりバランスを取る。そして81分にゴールが生まれた。遠藤保仁が相手DFの背後へスルーパスを送ると、岡崎慎司がエリア内で倒され、今度は日本がPKを獲得した。これを本田圭が確実に決め、日本が勝利をものにするとともに、グループステージ突破に大きく前進した。慌てず騒がず、力を出す。慢心や過信ではない自信を、取り戻しつつあった。

 引き分けでも決勝トーナメント進出(8強入り)が決まるグループステージ第3戦のサウジアラビア戦は、岡崎が3点、前田が2点を挙げて5-0の圧勝。すでに敗退が決まっている前回ファイナリストの戦いぶりが低調だったのは事実だが、日本が苦難を乗り越えてチームとして成長しているのもまた、事実だった。

画像: カタール戦で決勝点を挙げた伊野波(中央手前)。伏兵が勝負を決めた(写真◎小山真司)

カタール戦で決勝点を挙げた伊野波(中央手前)。伏兵が勝負を決めた(写真◎小山真司)

総力戦で戦い抜く

 アジアカップは総力戦と言われる。そう言われるようになったのは、この2011年大会の決勝トーナメント以降の戦いぶりが強い印象を残したからかもしれない。日本は、それこそチーム全員で一つ一つ階段をのぼっていった。
 準々決勝は開催国のカタールが相手。開始早々に失点したが、前半のうちに香川真司の得点で1-1と試合を振り出しに戻す。だが、63分に守備の要である吉田が2度目の警告で退場。その直後に再び先行を許し、絶対絶命のピンチに見舞われた。
 それでも、成長を続ける日本は諦めなかった。シリア戦同様に本田を1トップに置く4-4-1でバランスを取りつつ、リスクの冒しどころを見極めながらプレーする。香川の得点で同点に追いつくと、試合終了間際の90分だった。内田篤人の出場停止により右サイドバックで先発していた伊野波雅彦が劇的な決勝点を挙げる。
 長谷部によれば「10人になってから4バックは無理に攻め上がらない」ことを確認していたという。しかしその瞬間、伊野波はゴール前に攻め上がっていた。

「サウジアラビア戦でも、今回のカタール戦でも、ああいう狭いエリアを抜け出すプレーがあったから、ボールがこぼれてくるんじゃないかと」(伊野波)

 長谷部のパスを相手最終ラインの裏に飛び出した香川が受け、GKもかわしてシュート体勢に入るが、相手のラフなタックルを受けてボールがこぼれた。そのこぼれた先に、伊野波はいた。「よく詰めていた。あおこでボールを取られていたらカウンターを受けたと思うけど、勝ちたいという思いが乗り移ったようなゴールだった」。そう言ったのは1人少なくなってからパスを裁くだけではなく、自身も積極的なドリブルでゴールへのルートを探り続けた遠藤だった。

画像: 韓国との準決勝で3本のPKすべてを読みきった川島(写真◎小山真司)

韓国との準決勝で3本のPKすべてを読みきった川島(写真◎小山真司)

歴史に残る日韓戦と決勝戦

 続く準決勝の相手は因縁の韓国だった。そして、この一戦は日韓対決に深く刻まれる激闘になった。
 前半、韓国に先制を許すが、日本は狙っていた形からゴールを奪い返す。相手の左サイドバック、チャ・ドゥリの守備があまりうまくないことをスカウティングで確認していた選手たちは、その背後を巧みに突いてみせた。本田→長友佑都→前田のコンビネーションで同点とした。
 そのままスコアは動かず、迎えた延長前半。負傷した香川に代わって途中出場していた細貝萌が大仕事をやってのける。本田のPKは相手GKに弾かれるが、細貝が誰よりも早く反応して蹴り込み、勝ち越しに成功した。
 同点に追いつき、そして勝ち越す。しかも控え選手が活躍して。流れは完全に日本にあった。けれども、相手は何度も死闘を演じてきた韓国。延長後半終了間際、長身FWキム・シンウクへのパワープレーに対処しきれず、ゴール前のカオスを引き起こされて失点してしまう。伊野波を投入して5バックで逃げ切ることを選択したが、練習でやっていない形であったこともあり、日本守備陣それぞれの役割が不明瞭になっていた。

 結局、勝敗はPK戦で決することになった。勝利を目前で逃すことになった日本にとっては決して良い流れではない。勢いに乗るのは韓国だが、PK戦を迎えるときには、日本はしっかり切り換えができていた。
 決勝トーナメントを迎える前に、PK戦に備えてトレーニングを行なっていたことも奏功したのだろう。半年前のW杯でパラグアイ相手にPK戦で敗れ、悔しさを味わっていたことも大きかったかもしれない。経験を生かし、PK戦で見事な戦いぶりを見せる。GK川島が相手のキックを3本目まですべて読みきったのだ。結果、相手に1本も決めさせず、3-0で完勝した。

 いくつもの苦闘を乗り越え、オーストラリアとの決勝にたどり着いた日本は、初戦のときとは見違えていた。慢心も過信もなく、自信をまとう。何より大きかったのがレギュラーと控えの区別なく、チーム全員が同じ方向を向き、優勝を目指していたことだ。
 決勝でヒーローになった選手の存在が、そのことを証明してもいた。0-0のまま試合は延長に突入。延長戦半もスコアは動かず、迎えた後半109分。遠藤から左サイドの長友へパスが出る。刹那、スピードで相手を振り切った長友が中央へクロスを送る。待っていたのは、初戦に出場して以来、出番がなかったストライカーだった。李忠成が左足を振りぬくと、ボールは見事にサイドネットに突き刺さった。

「最初はトラップしようと思ったけど、トラップしたらダメだという勘が働いた。あんなきれいなゴール、一生取れないと思った」

 史上最多となる4度目の優勝を日本にもたらしたゴールは、日本サッカー史上に残る美しい一撃だった。それと同時に、2011年の日本代表チームを象徴するゴールでもあった。

「われわれはすべての試合で全力を出し切りました。最高の勝利、そして最高のチームです。団結することで、オーストラリアという素晴らしいチームに勝ちました。ベンチにいる選手がピッチに立ったときに必ず結果を出してくれることが、このチームの素晴らしいところです。日本のみなさんは、このような代表がいることを誇りに思ってほしいです。彼らは本当に素晴らしい」

 就任して5カ月あまり。アジアカップが初の公式戦だったアルベルト・ザッケローニ監督は言った。日本らしい「つながり」や「団結力」、まさしく「総力戦」で勝ち取ったアジア王者の称号。2011年の日本代表は、指揮官の言うとおり、確かに誇りに思えるチームだった。

画像: 試合を決めた李忠成の決勝ゴール(写真◎小山真司)

試合を決めた李忠成の決勝ゴール(写真◎小山真司)

【2011年アジアカップ日本代表(所属は当時)】
GK 川島 永嗣(リールス)
   西川 周作(広島)
   権田 修一(FC東京)
DF 伊野波雅彦(鹿島)
   岩政 大樹(鹿島)
   今野 泰幸(FC東京)
   長友 佑都(チェゼーナ)
   内田 篤人(シャルケ)
   森脇 良太(広島)※
   永田 充(新潟)※
   吉田 麻也(VVV)
MF 遠藤 保仁(G大阪)
   松井 大輔(グルノーブル)
   香川 真司(ドルトムント)
   細貝 萌(アウグスブルク)
   藤本 淳吾(清水)
   本田 拓也(清水)
   柏木 陽介(浦和)
   長谷部 誠(ボルフスブルク)
   本田 圭佑(CSKAモスクワ)
FW 岡崎 慎司(清水)
   前田 遼一(磐田)
   李 忠成(広島)
※酒井高徳の負傷離脱で森脇、槙野智章の負傷離脱で永田がそれぞれ登録された


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