現在開催されているロシア・ワールドカップは8強が出そろった。スタートこそスイスと引き分けたが、その後は順調に白星を重ね、優勝候補のブラジルも8強にたどり着いた。
彼らが今回狙うのは6度目の優勝だが、その中には栄光をつかみ取りながら、国民全員から愛されていないチャンピオンチームもある。それが、1994年アメリカ大会を制したセレソンだった。
文◎佐藤 景 写真◎Getty Images
24年ぶりにワールドカップ制覇を果たしたブラジル。4回目のタイトル獲得だったが…
フチボウ・アルチを捨てたバランス重視のスタイル
24年ぶりに覇を唱えた94年のセレソンを評価するブラジル国民は少ない。黄金の4人を擁した82年のチームでも成し得なかった偉業を果たしながら、記憶に残るチームとして語られることはほとんどない。
その理由は、はっきりしている。彼らが「王国」の流儀に反して守備的過ぎたからだ。
母国に3度目の優勝をもたらし、ジュールリメ杯を永久保持するに至った70年大会のセレソンは、存分に魅せた上で頂点に立った。華麗な攻撃サッカーでカップを勝ち取った印象はいまなお、ブラジル国民の中に鮮烈な記憶として残る。ワールドカップにおいて自国の代表に対する要求がことさらに高いのは、そんな伝説のチャンピオンを持つがゆえかもしれない。
「国民すべてが代表監督」と言われる国では「花も実もあってこそ」という欲張りな要求がまかり通る。結果だけでも、もちろん攻撃サッカーを実践するだけでもだめ。その二つを両立できるかどうかが、評価の大きなポイントになる。
その意味で言えば、アメリカ大会に臨んだカルロス・アルベルト・パレイラのチームは確かに基準を満たしていない。ブラジル国民にとっての花、すなわち「フチボウ・アルチ(芸術的なサッカー)」を、最後までチームとして追求しなかった。
攻撃はもっぱらロマーリオとベベットの個人技頼み。サイドバックの攻撃参加はチーム戦術に組み込まれているものの、4バックの前に守備的なボランチを2人置き、リスクを回避することも忘れなかった。どちらか一方のサイドバックが攻め上がれば、2人のセンターバックの間にボランチのマウロ・シルバが下がって4バックを形成した。「バランスの維持」が徹底されていた。
決勝までの7試合で奪ったゴールは「11」、喫した失点は「3」を数える。頂点に至る6試合に、19得点7失点を刻んだ伝説のセレソン70と比較すると、効率という点では94年のチームが勝るだろう。しかし効率的かつ機能的であることが、かえって無味簡素な印象を抱かせた。よく言えば、シンプル。悪く言えば、単調。およそブラジルらしからぬ戦いぶりは、大会期間中からも度々批判の的になった。
負の歴史が続いた後で招へいされたパレイラ
むろん、指揮官とて国民がどんなサッカーを求めているかを知っていたはずだ。ただ、70年大会以降、セレソンは世界一の味を知るマリオ・ザガロが指揮を執っても、黄金の4人をピッチに配してもカップに手が届かなかった。そんな負の歴史があってパレイラは招聘されている。勝利を何より優先するのは当然だった。
「攻撃的なサッカーは美しいが、タイトルの方が、もっと重要だ」
こうしたパレイラのサッカー観は、決勝トーナメント1回戦のアメリカ戦を境に、いっそうはっきりとしていく。左サイドバックのレオナルドが退場処分を受け、4試合出場停止となると、攻撃的なサイドバックのカフーではなく、堅実なブランコを起用した。サイド攻撃の停滞には目をつぶり堅実なベテランを選んだのである。そのブランコが準々決勝のオランダ戦で決勝点となるFKを決めるのだから結果だけ見れば、パレイラの選択は間違いではなかったことになる。とはいえ、攻撃はダイナミズムを失い、いっそう地味な印象を与えることにもなった。酷暑厳しいアメリカ大会で、効率的なサッカーがいかに有効かを知りつつも、母国の多くのメディアは辛らつなまま。
「なんと平凡なチームなのか!」
「カナリア(ブラジル代表)は歌(攻撃)を忘れてしまった」
安定していても、花のない戦いぶりに、反パレイラ派の舌鋒は鋭さを増すばかりだった。
史上最弱の評価を覆す24年ぶりの戴冠も…
そもそも大会前からして、パレイラのチームは期待されていなかった。南米予選では、史上最弱との屈辱的な評価さえ受けている。予選突破を決めたのは、ウルグアイとの最終節でのこと。ブラジル史上初めての予選敗退がチラつくほどに、苦戦を強いられたのだった。
ボリビアとのアウェーゲームでは、南米予選で負け知らずの歴史に傷をつけ、初めて敗北を喫している。慌てた指揮官は、最終節を前に1年以上も素行の問題で代表から外れていたロマーリオを呼び戻した。結局、その問題児の2ゴールでウルグアイを下し、予選4位で辛くも本大会行きを決めたが、決して優勝候補と呼べるチームではなかった。
本大会で勝ち進めたのも、そのロマーリオがいたからだと見る向きは多い。初戦のロシア戦、続くカメルーン戦でいずれも先制点を記録し、敗色濃厚だったグループリーグ最終節のスウェーデン戦では値千金の同点ゴールを決めている。ベスト16でアメリカを下したベベットのゴールも、ロマーリオのアシストによるもの。準決勝で再びスウェーデンと対戦したが、自陣に引きこもる相手を退けたのは、やはりロマーリオの一発だった。
らしからぬセレソンの中で、ロマーリオだけが、らしさを持っていた。だから伝説の域にない94年のチームの中でも、この異端児だけが別格の扱いを受けるのだろう。彼がいなければ、もっと味気ないチームになっていたのは確かだ。
そのロマーリオが押さえ込まれた決勝が、世紀の凡戦と一部で叩かれたのは象徴的かもしれない。最後にブラジルが優勝した70年大会と同じ顔合わせとなったファイナルは、スコアレスのまま延長まで120分を戦い終え、PK戦に突入する。そしてイタリアが3人外したのに対し、ブラジルは3人が決める。
史上初めてPK戦の末に勝者が決したファイナル――。セレソン94が歴史に刻んだのは、芸術的な攻撃を誇りにする国の代表には似つかわしくない「記録」だった。
歴代最多となる4度目の優勝を果たし、母国にカップを取り戻しながら評価されないなんて、サッカーに関して耽美主義者さえ存在するブラジルにしかあり得ない話だ。思惑通り世界を制した指揮官パレイラはこう振り返っている。
「私は守備的に戦えと言ったことはない。重視したのはバランスだ!」
指揮官の精一杯の強がりか。成し遂げた成果と評価が、これほど違う世界王者も珍しい。