母国開催の大会でドイツに1-7と大敗し、6度目の優勝を逃したブラジルは今大会、雪辱を誓って最強のチームを作り上げたと言われていた。実際、多くの識者が今大会の優勝候補ナンバー1に挙げていたが、初戦でスイスと引き分け、コスタリカに辛勝。ネイマールの姿にペレを重ね、1970年以来の『最強ブラジル』を夢見た国民は、冷静さを取り戻しつつ、今大会のチームの動向を注視しているという。
 1970年のチームはブラジル人にとって、それほど重要な『記憶』ということなのだろう。今回は史上最強と名高い『セレソン1970』を紹介する。

完全優勝を飾ったセレソン1970。クラブで10番を背負うスターが共存するという夢のようなチームだった(写真◎Getty Images)

文◎北條 聡 写真◎Getty Images

アートを表現した5人のクラッキ

 フットボールとは何か――。
 そうした問いに対する答えは、人それぞれだろう。しかし、この70年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会のブラジルを目撃した人なら、こう答えるかもしれない。
 フットボールとは芸術である、と。
 ブラジルではよく『フチボウ・アルチ』というフレーズが使われる。ポルトガル語で「芸術的サッカー」という意味だ。20世紀のW杯史上、最初で最後の全勝優勝を飾ったブラジルのサッカーは、人とボールの豊穣な対話から生まれるアートだった。
 アイディアがあっても、それを形にするテクニックがあっても、アートは成立しない。いつ、どこで、やるべきか、それを理解するインテリジェンスが必要だ。創造性、技術、知性。この3つの要素を兼ね備えたフットボーラーを、ブラジル人は『クラッキ』と呼ぶ。
 70年大会のブラジルは、まさしくクラッキの集合体であった。1つのチームに1人いるかどうか、という特別な存在が実に5人もいたのである。
 ペレ(背番号10)
 トスタン(同9)
 リベリーノ(同11)
 ジェルソン(同8)
 ジャイルジーニョ(同7)
 いずれも所属クラブで「ナンバー10」を背負うクラッキであった(注・トスタンはクルゼイロで背番号8をつけていたが、実質的にはナンバー10の役割を果たしている)。21世紀の常識に照らせば、ほとんどゲームの世界である。
 現代とはポジションの概念が異なるため、単純な比較が難しいが、あえて言うならば、5人のトップ下(もしくはインサイドハーフ)を並べたようなものだ。ジャイルジーニョは所属のボタフォゴでセンターフォワードを務めるケースもあったが、純粋なストライカーではない。つまり、ロナウドもロマーリオもいなかったのである。
「5人のクラッキ」
「5人のナンバー10」
 アルゼンチンのメディアからも絶賛された夢のクインテッドが、20世紀で最も美しいチームの動力源だった。それにしても、ポジションと役割の重なる5人のクラッキが、なぜ共存できたのか。そこに、このチームの秘密があった。

5人の個性をつないだインテリジェンス

 インテリジェンス(知性)――。
 各々の優れた知性が、5人のユニットを何の矛盾もなく成立させていたと言ってもいい。
 フォーメーションは4-3-3と伝えられているが、実際は現代の4-4-2(または4-2-4)に近い。2トップがペレとトスタン、右がジャイルジーニョ、左がリベリーノ、2センターハーフの一角にジェルソンといった趣だ。
 トスタンの1トップと解釈するなら、4-2-3-1という見方もできる。いや、そうではない。知性派トスタンは「かりそめの1トップ」であった。数字の配列を次のように並べたほうが、より分かりやすいだろう。
 4-6-0
 最前線にいるトスタンは盛んにトップ下へ移動してゴール前にスペースを作り出し、そこにペレやジャイルジーニョが次々と現れ、ネットを揺らした。いわば、現代の『ゼロ・トップシステム』のようなものだ。「私はアシスト役に適していた。だから自分なりの解釈で、周囲との結びつきを考えながらプレーした。そこで私は意図して前線にスペースを作りだし、そこをペレたちに使わせた。監督の指示などではなかったよ」
 トスタンの回想である。所属クラブとほぼ同じ役割のままプレーできたのは、ペレとジェルソンくらい。優れた知性が異なるポジションでプレーするクラッキたちを、有機的に結び付けていた。
 ペレを別格とすれば、4人のクラッキは強烈な個性を持っていた。中盤の深い位置から、アメリカンフットボールのクォーターバックのようにタッチダウンパスを成功させるジェルソン、ロケットのような爆発的なキック力を持つリベリーノ、疾風のような走力を誇るジャイルジーニョ、味方の長所を十全に引き出す頭脳を持ったトスタン。彼らのそうした持ち味が次々と鎖のようにつながり、大会史上に残るゴールラッシュが生まれた。
 6試合を戦い、ノーゴールに終わった試合は一つもない。4ゴールを奪った試合が3、3ゴールを奪った試合が2。けた外れの得点力であった。
 わずか1点に留まったのは、前回王者イングランドとの一戦だけ。完封勝ちもこのイングランド戦だけで、失点の数も多かったが、派手に打ち合うゲーム展開に見る者は腰を浮かし、ゴールへのスリリングなアプローチに息をのんだ。
 いつ、どこで、誰が、どのように得点を奪うのか――。対戦相手はもちろん、ブラジルの指揮官ザガロにさえ分からなかった。それを知っているのは、5人のクラッキだった。 彼らを止める手立てはどこにもなく、全世界の称賛を浴びながら、優勝カップを手中に収めた。そして、世界で初めて大会史上3度目の優勝を成し遂げたことで、ジュール・リメ・カップ(優勝杯)の永久保持が認められる。
 フランスの新聞が『ル・ロワ』(キング)と書きたてた円熟のペレは、曲芸の連続で起立する孤高のソリストとしてではなく、周囲と共鳴する卓越した知性をもって、オーケストラの一部となった。『20世紀最高のフットボーラー』という肩書きは、この大会で決定的なものとなったと言っていい。
 ピッチ上に、時間もスペースもあった時間のおとぎ話のように思える。だが、現代に生きるわれわれは、当時のブラジルの21世紀バージョンを目撃しているらしい。あのペレが、EURO2008を制し、2010年のW杯に臨むスペイン代表について、こう語っていた。
「現在のスペイン代表なら、70年大会のブラジルと比較できる。彼らには偉大なテクニックがある。ただ、彼らの最高の美徳は、中盤の選手たちに備わったインテリジェンスだ」


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