生粋のシュート職人
総理大臣杯ファイナルでの決勝ゴールは圧巻だった。約25メートルの距離から豪快な右足ボレーでネットを揺らすと、スタジアムからどよめきが起こった。
「あれは感覚。打つと決めていたので、強い気持ちがゴールになったと思う」
試合後、大きな荷物を抱えながら、満面の笑みで会心の一発を振り返った。大会のヒーローもピッチを一歩出れば、1年生の仕事が待っている。チームの荷物を運搬し、後片付けもしっかりこなす。おごりは一切は見えない。
「チームメイトたちがしっかり守ってくれたので、僕はゴールを奪う仕事に専念できた。常にワンチャンスを逃さないようにしていた」
根っからのストライカーのシュート技術は、プロ予備軍が集った大会でも一際輝いていた。「隙あらば打つ」という思い切りの良さには、プロスカウトたちも舌を巻いた。
法政大が1970年に初めて全国大学選手権優勝を果たしたときのメンバーでもある、千葉の斎藤和夫スカウトは「鋭い得点感覚を持っている。サイズがあり、身体能力も高い。将来が楽しみ」と孫のような後輩に太鼓判を押していた。
点取り屋としての素養は、幼い頃に培われた。元西ドイツ代表FWユルゲン・クリンスマンに憧れた父の影響でサッカーを好きになり、休みのたびに草サッカーで点を取る父の背中を見て育った。地元茨城の少年団で本格的にサッカーを始めたとき、ポジションがFWになったのも必然か。
小学校1年生のときに、練習試合で決めた初ゴールの感覚は今でも忘れない。情景は、すぐに頭に浮かぶ。遠目の位置からの右足ボレーだ。
「点を取る喜びを知った」
すっかり病みつきになった。周りの友人がリフティングの練習をしていても、一人でゴールネットに向かって、ボールを蹴り込んだ。
「シュートだけは誰にも負けたくなかった。リフティングの回数より、いいコースに何本打てたかを数えていた」 少年時代からFW一筋でまい進。全国の舞台で名を知られたのは、鹿島学園高在学中だ。3年生のときに高校選手権に出場し、2ゴール。得点能力の高さはスカウトも認めていたところ。ただ、荒削りな面が目立ち、プロはまだ時期尚早という判断が大半だった。
しかし、法政大で急成長し、プロの評価も一変。本人も意識する動き出しがよくなり、洗練されてきた。
12月には森保一監督が指揮を執るU-20日本代表の一員として、タイで行なわれた『M-150 CUP 2017』に参加し、2ゴールを奪った。
大型ルーキーから目が離せない。
文◎杉園昌之
上田 綺世 [法政大1年/FW]※登録はMF
うえだ・あやせ/1998年8月28日生まれ。茨城県・鹿島学園高時代には全国高校選手権に出場した経験を持つ。181㎝、75kg