北中米ワールドカップの最終予選が始まった。日本は9月5日の初戦で中国を7-0のスコアで下し、まったく寄せ付けなかった。かつて中国に勝てずに「格下」と認識されていた時代を知る筆者が、埼玉スタジアムで見た光景とは。

文◎国吉好弘

上写真=中国を圧倒した日本代表。歴代最強の呼び声も高い(写真◎小山真司)

1987年の逆転敗退

 1987年10月4日、中国の広州で翌年のソウル・オリンピック予選が行われた。開催国の韓国が予選免除のため、東アジアのグループは日本と中国がソウルへの切符を争う展開となった。

 まだ、オリンピックにA代表が出場していた時代のことである。日本代表もワールドカップよりもオリンピックの出場がより重要な目標だった。中国とのアウェー、ホームでの2戦を残し、より多くの勝ち点を稼いだ方が出場権を得る、そんな状況で広州での「第1戦」だった。

 天河体育中心体育場を埋めた満員の観客の後押しを受けるホームの中国がボールを支配して攻勢に出るが、石井義信監督のもと守備を固めてカウンターを狙う戦術を採っていた日本は、その猛攻に耐えた。そして21分にFKから水沼貴史のクロスを原博実がヘッドで決めた1点を守り切って1-0で勝った。あとは3週間後の10月26日に東京の国立競技場(建て替え前の旧競技場)で行われる「第2戦」で引き分けでも、1968年メキシコ大会以来となるオリンピック出場を決めることができる。

 しかし、中国は強かった。のちにガンバ大阪でプレーするキャプテンのCB賈秀全を中心に体格、フィジカル能力に優れた選手を揃え、技術的にも当時のアジアではトップレベル。アウェーでの試合同様、あるいはそれ以上に日本は押し込まれた。前半のうちに長身FW柳海光にヘディングで決められて2試合合計で追い付かれる。後半になっても戦況は変わらないが、日本も体を張って何とか失点を阻んでいた。しかし、82分にミスを突かれて唐堯東に決められて万事休す。あと一歩のところではあったが、実力的に相手が上回っていたのは間違いなかった。

 オリンピック本大会を控えた翌1988年にも横山謙三新監督となった日本は中国をキリンカップに迎えて対戦したが0-3で完敗。明らかに中国はアジアのトップレベル、日本はその下のクラスに置かれるような時代だった。

 そのオリンピック最終予選から数えて37年、隔世の感があるのは当然な時間が過ぎた。Jリーグの誕生をきっかけに日本は着実に力を伸ばし、2000年以降は今回の対戦の前まで14試合を行って日本の8勝6引き分け無敗とすでに大きく引き離している。

 しかし、それにしてもだ。7-0のスコアはだれも予想できなかったのではないか。3-0、あるいは5-0くらいまでなら展開次第であり得るかとも思ったが、7-0などというスコアは最終予選でお目にかかったことがない。

 この試合を迎えるにあたって、メディアは過去2大会の最終予選初戦での敗戦をこぞって取り上げて強調し、注意を促した。森保一監督も初戦の難しさを繰り返し意識させてきた発言をしている。その効果もあったのだろう。ただし、選手たちは落ち着いていた。スキのないプレーでチームの成熟度の高さを示し、各自がそれぞれの役割を理解して個々の持ち味を発揮した。前回の予選を経験している選手も多く、出場した選手のほとんどがヨーロッパでプレーしている経験値の高さがチームに安定感を与えていた。

 森保監督が6月のシリーズから採用した3-4-2-1のシステムも機能した。それまで試合途中から変更して3バックにしたこともあるが、両ウイングバックには少なくともどちらか一人は本来サイドバックのDFを起用していた。しかし、2次予選最終戦となったシリア戦で先発メンバーとしては初めて、右に堂安律、左に中村敬人とアタッカーを置いて攻撃的なサッカーを見せた。この試合でも5-0と快勝して手ごたえをつかみ、中国戦でも右に堂安、左に復活した三笘薫を起用する大胆ともいえる布陣で臨んだ。

 右のシャドーに入った久保建英と堂安のコンビネーションは良く、お互いの特長を引き出せる関係性を示し、左では三笘がもう格の違いを見せつけた。ボールを持てば縦にも行けるし、カットインしてもチャンスを作った。三笘の存在感を巧みに利用して南野拓実は得意の狭いスペースへもぐりこむプレーで2ゴールを決めた。ゴールこそなかったが、上田綺世は確実なポストプレーとボックス内の鋭い動きで相手ディフェンスを揺さぶった。

 途中出場した伊東純也は1ゴール2アシストで結果を残し、左利きの堂安とは違った右サイドからの攻撃のバリエーションを示した。同じく途中出場した前田大然もゴールを決め、鬼のチェイシングで相手を困惑させた。出場機会がなかったが、好調の鎌田大地、浅野拓磨、中村敬人らも手ぐすねを引いて出番を待っており、バーレーン戦での活躍が期待できる。攻撃陣の豊富さは「歴代最強」と呼ばれるにふさわしいものがある。

 ディフェンス陣も安定したプレーを見せ、板倉滉、町田浩樹のフィードが的確かつ正確なところも光った。特に町田はこの点において長足の進歩を遂げており、上田に差し込んで南野の4点目の起点となった縦パスは見事、他にも多くのチャンスを生み出していた。無失点に終えたことも評価すべきで、中国のシュートをジャン・ユイニンが一か八かで打った可能性の低い1本に抑えたほど完ぺきだった。守備における安定感は遠藤、守田英正のボランチの存在が大きく、二人を中心にネガティブトランジションの素早さは秀逸で、後半などほとんど中国に中盤で前を向いてプレーさせなかった。

 攻守にわたって見事なプレーを見せた日本はバーレーンに飛んで第2戦を迎える。再び油断は禁物などと言うまでもなく選手たちはどうすべきかを理解しており、チームは成熟期を迎えている。バーレーン戦はメンバーを多少入れ替えるかもしれないが、それさえも楽しみになる。


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