上写真=世界一を知るなでしこジャパンOB、丸山桂里奈(左)と宮間あやが、女子アジアカップの思い出を大いに語り合った
対戦相手から感じる「日本にだけは負けたくない」
――なでしこジャパンがアジアカップで初優勝した2014年大会には、お二人とも出場されています。当時のことを覚えていますか?
宮間 (開催地が)ベトナムですね。
丸山 あー、ベトナムバッグがすごく可愛くて、抜け出して買いに行ったときだ。でも、それが見つかって…(笑)
宮間 桂里奈ちゃん、それは一つ前のベトナム(2008年アジアカップ)だよ。
丸山 2014年のベトナムって…。あー、ターンオーバー(連戦に備え試合ごとに先発メンバーを大きく分けること)なのに試合に出してもらえなかったときだ。
宮間 そうそう。2008年は桂里奈ちゃんがこっそり抜け出して露店に買いに行ったんだよね(笑)
丸山 あれ、めっちゃ怒られたんだから。
宮間 あのとき、すごい面白いホテルだったよね、板張りの。
丸山 そうそう。覚えてる。あのチームは個性が強かったよね(笑)。すみません、私のせいで話がズレました(笑)
――話を戻します(笑)。お二人はなでしこジャパンの一員として長く活躍されましたが、ワールドカップやオリンピックなど世界大会とアジアの大会を比べて、どちらの方が難しいと感じましたか?
宮間 アジアの方が難しかったですね。欧米のチームは自分たちの良さを出そうとするから対応の仕方があるけど、アジアの国は日本の良さを消しにくるから、そこが難しかったです。
丸山 確かにね。日本は技術だったりパス回しが上手だけど、ほかのアジアの国はめっちゃ頑張らない?
宮間 頑張るし、あきらめない。
丸山 粘り強さ、ハングリー精神がすごかったよね。北朝鮮とか、最初は結構びっくりした。
宮間 そうだね。北朝鮮は本当にびっくりした。
丸山 日本にだけは負けるな、みたいなのがあったよね。
宮間 あった。韓国、北朝鮮、中国は特に。
――アジアカップはワールドカップ予選も兼ねた大会です。そのプレッシャーもありましたか?
丸山 昔はアジアの出場枠が少なかったんですよ。今はいくつなんだっけ?
宮間 5カ国。2010年のアジアカップ(中国大会)はワールドカップ(2011年・ドイツ大会)出場権を得られるのが3カ国だけで、日本は3位だったから。アジア3位で2011年のFIFA女子ワールドカップに出て、優勝しちゃった。
丸山 そっか。でも、私はそのアジアカップは出てないんだよ。
宮間 そうだっけ? ケガしてたのかな。
丸山 いや、2010年はアメリカにいたから。
宮間 フィラデルフィアにいたときだ。
丸山 そうそう。アメリカに行くときにノリさん(佐々木則夫監督)に連絡したら、「アジアカップには呼ばないから、成長して帰っておいでね」って言われたから。
宮間 ノリさん、お父さん?(笑)
丸山 だから私が出場したのは2008年と2014年の2回だけど、アジアカップは難しいイメージあるよね。
宮間 男子の選手も「アジアの大会は難しい」と言うけど、これは実際にピッチに立ってみないとわからないことだと思います。
――それは具体的に言うと、どのようなことですか?
宮間 アジア同士の戦いは、国を背負っているという感じがすごく伝わってくるんです。もちろんサッカーというスポーツでの勝敗を決める試合だけど、いわゆるスポーツマンシップ的なものではなく、生きるか死ぬか、むしろケンカに近い雰囲気ですよね。
丸山 審判が見ていないところですごいことをやってくるもんね。
宮間 普通に肘が入ってくる、みたいな。
丸山 一回、ユニフォームを完全に引っ張られて破けたもん。ファールなんて当たり前みたいな感じです。
――かつては中国がアジアのトップに君臨し、日本は挑戦者という立場でしたが、2011年ワールドカップでの優勝以降は「アジアでは勝って当たり前」という時代になりました。その変化に伴い、アジアの戦いに臨む気持ちも変わりましたか?
宮間 チャレンジャーのときよりも、プレッシャーは大きくなりました。アジアのほかの国は日本を倒せば、「世界一に勝った」と言えますから。特にワールドカップのあとのオリンピック・アジア予選はすごい緊張感でしたね。
丸山 あのときは試合に勝ったあと、みんなホッとしてたよね。
宮間 そうだね。喜びよりも安心という感じだった。