上写真=東京Vの育成から中央大学を経て浦和レッズに加入した大久保智明。その過程にあった困難と、どのようにその困難を乗り越えてきたかを本人が振り返る(写真◎高野徹)
プロサッカー選手になるまで
亘 大久保選手は小学生のころから東京ヴェルディのアカデミーで育ち、私はジュニアのころに関わらせてもらいました。中央大を経て2021年に浦和レッズに加入するわけですが、プロ選手になって、私は本当にうれしかったんです。
大久保 ありがとうございます。
亘 浦和加入から昨季までの4シーズンで公式戦に125試合に出場していて、この間、監督交代が3度あり、3人の監督の下で、どの監督にもしっかりと評価されて試合に出場しているのは、本当に素晴らしいことだと思います。適応、対応には難しさもあったのではないですか。
大久保 実は僕、それこそヴェルディのアカデミーのころから毎年のように、監督が代わっているんです。ジュニアのときもそうですし、高校生(ユース)のときも最初は冨樫さん(剛一。現横浜F・マリノスユース監督)、高校1年生の途中(2014年9月)に冨樫さんがトップの監督になり、菅原さん(智。現ヴィッセル神戸コーチ)に代わりました。「慣れている」というとおかしいかもしれないですが、レッズに入ってからも監督から何を求められているのか、どういうプレーが好まれるのか、察するのが早いほうだと感じています。
亘 大久保選手はジュニアのころから技術もあったし、ジュニアユース、ユースとその力をどんどん伸ばしていきました。大きな転機としては、ユースから中央大に進むタイミングだったと思います。ずっとクラブチームで育ってきた中、いわゆる“部活”に初めて足を踏み入れるわけですが、どのようなことを感じていましたか。
大久保 もちろん、ヴェルディでトップに昇格することを目指していましたけど、「昇格はできないよ」というふうに言われて……。それまで大学サッカーのレベルというか、そのカテゴリーからどれくらいの選手がプロに行っているのか、など全く知識のない状況でした。大学に入ってまず感じたのが、「いろいろなサッカーがあるんだな」ということです。
ヴェルディのアカデミーで9年間やってきて、「うまい」とされていたプレーが大学サッカーでは違ったりもする。入った当初は、誤解を恐れずに言えば、周りは「めちゃくちゃヘタくそだな」と思ったのが正直なところでした(笑)。でも、ものすごく足の速い選手がいたり、体の強い選手がいたり、そういう特徴のはっきりしている選手が試合に出ていたりするので、サッカー感が大きく変わった感じがしました。
亘 中央大に進学したあと、何回か試合を見させてもらったことがあるのですが、大学のフィジカルが強い選手が多くいる中でも、大久保選手は武器であるドリブルや技術で勝負していていました。もちろんスピードもあるし、だんだん注目される存在になっていき、「プロに行くんじゃないか」という声が聞こえてきたときもうれしかったんです。今回のインタビューのコンセプトがまさにこの部分。例えばクラブ育ちの子、全員が全員、スムーズにトップまで行けるわけではないじゃないですか。
大久保 はい。
亘 トップに上がりたくても上がれなくて、そこで挫折を味わい、サッカーをやめてしまう子もいる。それ以前にも、ジュニアユースやユースの段階でも本当はクラブでやりたかったのに、順応できずに終わる子もいる。そういう子たちに、大久保選手の経験談が良いヒントになったらいいな、と考えています。クラブだけがいいわけでも、部活だけがいいわけでもなくてね。では、大久保選手にとって、大学の4年間はどのようなものでしたか。
大久保 大学に行って本当に良かったな、と今はそう思います。みんな小さいころからプロになりたくて一生懸命にやってきて、でも、大学では多くの選手が「サッカーを辞める」という選択肢を持ち出すんです。2年生のときだったと思いますが、須藤さん(岳晟。現クリアソン新宿)という方がキャプテンで、その人は関根貴大くんと幼馴染で、レッズユースから中央大に進んだ方なんですけど、その方に「大学まで来てなぜサッカーをしているのか、なぜプロサッカー選手になりたいのかを本気で考えてみて」と言われたことがありました。ハッとしました。確かに「プロサッカー選手になりたい」とは思っていましたけど、「なぜそうなりたいのか」というのは、考えたことがなかったな、と。
そのことを真剣に考えたときに、両親の支えがあってサッカーを続けてきて、それが1つ、プロになることで恩返しに繋がるな……とか。周りの話しを見聞きしていると、部活などをやらなければ大学って、4年間楽しく過ごすこともできるわけで。もちろん、本分は勉強ですけど、「人生の夏休み」なんて言われるぐらいだから、遊んじゃおうと思えば、いくらでも遊べてしまう。それにも関わらず、“部活”に入る意味というか、あらためて自分を見つめ直せる時間になりました。
サッカーの部分でも自己分析をしっかりして、得意なプレーを磨いたり、いざプロになったときにどういうことが求められるのか、高卒でプロに行ける人といけない人の差はなんなのか、そういうことを考えられる時間だったなと思います。
亘 すごく、大事な時間でしたね。では、サッカー面で、何をしなければいけないと考えて4年間を過ごしたのですか。技術はヴェルディで十分に身に着けていたと思います。
大久保 いろいろ考えました。ヴェルディで育って、自分はかなり“ヴェルディっぽい選手”になっていたと思うんです。大学に入った当初も、それまで培ってきた技術で勝負している自分がいましたけど、でもそれではヴェルディでトップに上がれなかったわけで。次に目指すのは大卒でのプロ入り。高卒とは違い、“即戦力”にならなきゃいけない。圧倒的な武器がなければ難しい。
1年生の1年間は大学でもなかなかトップチームに上がることができませんでした。2年生になったときに、自分が試合に出るために何をしなければいけないかをよく考えました。このときのチームを分析すると、試合の途中から出て流れを変えるような、スーパーサブがいませんでした。まずそこを目指そう、と。そのポジションに求められるのは、ガンガン仕掛けてゴールを狙う、仕掛けてチャンス作ること。そうやって、ときには監督の目線で考えてみたりしたことで、自分は「ドリブルに特化してしまっていい」と。そう考えられるようになってから、少しプロが近づいた感じがしましたね。
亘 「大久保、すごいよ」という話を聞くようになり、実際に見てみると飛び出しとか、仕掛けとか、クロスとか増えていてね。ヴェルディだと「全部足元」みたいな、すごくスペースのない狭い中で生きるイメージもあったから、成長しているな、と感じました。
浦和レッズ加入
亘 大学卒業後にレッズに加入することにした理由を教えてください。いくつかのクラブから声が掛かっていた、と聞きました。
大久保 声を掛けていただいたタイミングが早かった、というのが1つの理由です。初めてレッズのトレーニングに参加したときは、周りからは「レッズはやめておけ」というような声もあったんです。資金力のあるクラブですし、本当に必要だと考える戦力は、大学とかではなくて、補強で他クラブなどから獲ってくる、みたいな。決してそんなことはないんですけどね。
僕も僕で、ヴェルディでトップに上げてもらえなかったのに、本当にレッズにいけるのか、と。ただ、キャンプに参加させてもらったときに、想像していたよりも「できる」という肌感覚もあって。そこからです本気になったのは。レッズのスカウトの方も、大学の朝早い練習を見に来てくれたり、ちょくちょくお話もさせていただいて、監督も「レッズ、本当にあるぞ」と。そんなレッズの「来てほしい」という熱量も加入を決めた大きな理由の1つです。
亘 毎年のように上位に顔を出し、十分な戦力を持ってタイトルを争うクラブでプロの一歩を踏み出すことに、不安はありませんでしたか。
大久保 すごく不安でしたよ。レッズのほかにも2クラブくらいから声を掛けてもらっていて。正直、早くからの試合出場のことを考えたら、そちらのクラブを選んだほうがいい、という考えもありました。大卒ですし。その上で、ステップアップしていく、という選択肢もないわけではありませんでした。
そんなことを悩んでいたら、大学のとても仲の良かった同期のチームメイトが、「何でレッズじゃないの?」と。彼はプロになってはいないんですけど、「ビッグクラブに行けるチャンスがあるなら、俺だったら迷わず行く。逆にレッズに行かない選択肢なんてあるの?」と。それを聞いて、「何を自分は怖がっているんだろう?」と、恥ずかしくなりました。
亘 すごくいい友達に恵まれましたね。
大久保 そうですね。そいつは多分、覚えていないと思うんですけど。仮に違うクラブに行っていたとして、多分、レッズの試合を気にしていたと思うし、「行けばよかったな」と後悔していたと思うんです。チームメイトには本当に感謝ですね。
亘 ご家族の反応はどうでしたか。
大久保 とても喜んでくれました。ヴェルディユースからトップに上がれないことを伝えられた面談の日、両親になかなか言い出せなくて。期待を裏切ってしまった、と感じていたので。まず兄に泣きながら電話をして……。両親はそのときは落ち込んではいなかったのですけど、でも、レッズに決まったときは、かなり喜んでいましたね。
亘 プロでやっていけるな、と手応えをつかめたタイミングや、キッカケがあれば教えてください。
大久保 先ほども少し話に出た、初めてキャンプに参加したときと、加入が内定したあとに1カ月間ぐらい練習に参加して、そのときにはすごい手応えを感じていました。ただ、4年生のときにケガをしてしまい、しかも、コロナ禍で大学での活動も減ってしまって……。レッズに合流したときに、自分のレベルが落ちているなと。そもそもコンディションが上がってない認識もあって。もっとできる自分を知っていたので、まずはそのレベルに近づけようと。1年目は夏ぐらいに天皇杯に出させてもらい、そこからリーグ戦に絡めるようになって、いけるかなと思いました。
亘 プロになってから、意識の変化はありますか。
大久保 大学のときから、成長を求め続けていて、その気持ちは変わらない、変えないようにしているので、特別な変化はありません。やっぱり試合に出てなんぼだし、自分に決定権がないところも少なからずはあるけれど、出られる、出られない、結果を出せる、出せないの責任は全て自分にあると思っているので。
亘 ヴェルディのころはすこしふざけているイメージもあったけど、サッカーには真剣で、負けたときなんかは泣いたり、みんなとずっと話し合ったりしている姿を見ているから。真剣にサッカーを考えるのって、すごく大事だし、そこを持ち続けてくれるのはうれしいです。
今後、プロを目指す人に対して、くじけそうなときに、どんなふうにメンタルを保ち、ポジティブに持っていったらいいのか、アドバイスがあればお願いします。
大久保 レッズに入ることが決まったときに、家族はもちろんですけど、友人、ヴェルディの同期、中央大の同期もそうだし、友達のお母さんなど、喜んでくれる方がいっぱいいたんです。そこで「こんなにも応援されていたんだな」と認識したし、自分の夢が自分のものだけじゃない感じを受けました。
プロに入ってからもそうなんです。今年で5年目ですが、試合に出るとなれば、新人のころにお世話になったコーチや、スタッフの人たちも喜んでくれる。自分だけのことじゃない、支えてくれる人がいると考えると、モチベーションになるし、仮につらいことがあったとしても、続けられるのではないでしょうか。
亘 なるほど。では、ヴェルディのアカデミー時代の同期でも、他クラブの同い年の選手でもいいですが、サッカーを続けていく中で意識した選手はいますか。
大久保 コウタ(渡辺皓太。現横浜F・マリノス)ですね。僕らのヴェルディユースの同期だと、あいつだけですから。ユースからトップに直接上がったの。しかも、当時はJ2でしたけど、2種登録で高校3年生でデビューもしている。トップに上がっても1年目から試合に出続けて、ゴールも決めています。自分は大学のBチームにいるときで、すごい差を感じさせられました。今でもコウタが試合に出ているか、活躍しているか気にしますし、F・マリノスの試合、コウタのプレーを見ることも多いです。
あとは深澤大輝(現東京ヴェルディ)。ダイキはユースから一緒に中央大に進んで、彼はヴェルディに戻ったんですけど、仲がいいので、今でもしょっちゅう会ったり、連絡を取り合ったりしています。
亘 深澤選手との関係は特別ですよね。ジュニアからユースまでずっと一緒で、トップに上がれずに、同じ大学でプロを目指して頑張った仲ですもんね。

2025シーズンはリハビリからのスタートとなったが、3月8日のJ1第5節・岡山戦で復帰した大久保智明(写真:J.LEAGUE)
2025シーズンのターゲット
亘 レッズは常にタイトルを争うチームで、代表経験のある選手や、フレッシュで良い選手、経験豊富な外国籍選手など、力のある選手が多数在籍しています。その中で競争に勝ち、なおかつ結果が求められる。このあたりのプレッシャーはどのように感じていますか。
大久保 3年目になったあたりから、年々感じるようになっています。ある程度主力で試合に出させてもらい、期待も大きくなる中で、責任感も出てきますから。いろいろな声も聞こえてきますしね。当然と言えば、当然ですが。
亘 リーグも期待されていますが、今年で言えば、クラブワールドカップへの出場もあります。これまでとは方式が変わり、世界のトップクラブの32チームによる戦いです。世界の強豪と対戦できる、すごく貴重な機会でもありますね。
大久保 こんな大きな大会に出場できるのは、最初で最後かもしれません。そういう覚悟を持って、この大会に臨みます。というのは、ACLを取る難しさを、身をもって分かっていますから。特に近年は中東勢がヨーロッパで活躍中の選手をどんどんチームに加えています。そもそも、大会自体を勝ち抜く難しさは半端ではありません。僕ら(2023年のACL)はグループステージがセントラル開催、ラウンド16、ノックアウトステージも準決勝まで日本(埼玉)での開催で勝ち抜いたので、全てを分かっているわけではないですが……。
ただ、アルヒラル(サウジアラビア)との決勝(ホーム&アウェー)です。あのタフな2試合を経験していますから。そうやってACLで優勝して、勝ち取ったクラブワールドカップへの出場権ですから、すごく大事にしたいと思っています。それに、Jリーグでプレーしていると、世界との差が分かりづらい。Jリーグの立ち位置や、自分のレベルを確認できるいい大会だなと思いますし、アピールにもなると思っています。
亘 ニュースでも取り上げられ始めていますが、インテル・マイアミにメッシがいたり、バイエルン・ミュンヘンやマンチェスター・シティが出たりと、注目の大会です。大久保選手もケガから復帰して、リーグ戦にも出場しましたし、ここでの活躍を期待しています。
そして、レッズで頑張って、いつかは海外への挑戦もしてもらいたいな、というふうにも見ていますが、この辺りはいかがですか。
大久保 そうですね。海外思考はまだありますし、人生においても経験したほうがいいことだとは思っています。ただ、行くのであればしっかり長くプレーして、また最後はJリーグに帰ってきたいという思いがあります。ただ、その前に、しっかりとレッズで結果を残さないとですね。
亘 ですね、はい。熱いレッズファンの前でね、戦う責任もあると思うし、とても重要なことですね。最後に、大久保選手のように頑張ってプロを目指している子どもたちと、これからの意気込みを聞かせてください。
大久保 僕は確かに、ここまでのキャリア、経歴だけを見るとすごくよく映ると思うんです。ただ、その経歴の中で一番下のグループにいたと思うし、年代別の日本代表に選ばれたこともなければ、選抜チームのようなものに選ばれることもほとんどありませんでした。ただ、毎日「どうやったらプロになれるか」、「どうやったら試合に出られるか」を考えて、サッカーを続けてきたから今があると思っています。
今、高校とか大学でもがいてる人はもっともがいていいと思う。本当にプロサッカー選手になりたいとか、もちろん別の夢でもいいのですが、何としても目標を叶えたいと思うなら、真剣に考えて、それに費やす時間が増えれば増えるほど可能性は広がるんじゃないか、と。自分だけの夢じゃないという話もしましたが、これに関しては僕がプロになれたんだから、説得力はあるのかなって思います。とにかく続けることが大事です。
そして今季の目標は、レッズでのリーグ優勝です。ケガで出遅れてしまいましたが、ここから優勝に向けてチームで一番貢献する、最終的に、一番影響力のあった選手と言ってもらえるようなパフォーマンスをしたいと考えています。
亘 ありがとうございます。期待しています。
大久保 頑張ります!

大久保智明/プロフィール
おおくぼ・ともあき◎1998年7月23日生まれ。東京都出身。ビートルイレブンでサッカーを始め、東京Vジュニアに加入。東京Vジュニアユース、東京Vユースと技術を磨き、中央大へ進学。ここでのパフォーマンスが認められ、21年に浦和加入。1年目からコンスタントに出場機会をつかみ、昨季はリーグ戦23試合2得点。右ヒザ手術の影響で25シーズンはリハビリスタートとなったが、3月8日の岡山戦でリーグ戦に復帰した。
亘崇詞/プロフィール
わたり・たかし◎1972年3月8日生まれ。岡山県出身。津工高在籍時にアルゼンチンへ留学し、卒業後に三菱石油水島で社員選手としてプレー。国体選手としても活躍するが退社し、91年にボカユースチームにテスト入団を果たす。92年にボカとプロ契約、93年にドック・スド(アルゼンチン)でプレーした後、94年にボカに復帰。その後、アメリカやペルーでプレー。日本では栃木SC、アルテ高崎に所属。2010年に指導者に転身。東京Vジュニアコーチ、東京Vジュニアユース監督、日テレ・ベレーザ、ASエルフェンのコーチとして一部に昇格した。その後、2015年に広東省体育彩票女子足球隊(中国)で監督を務め、17年より岡山湯郷Belle監督、岡山国体女子チーム監督、22年より城西大女子サッカー部監督を歴任。S級ライセンスを23年に取得し、25年よりジョイフル本田つくばFC監督を務める。
https://www.tsukuba-fc.com/joyfulhonda/
取材◎亘崇詞
写真◎高野徹、J.LEAGUE
取材協力◎山田行商