上写真=2年ぶりに広島でプレーする野津田。地元のクラブへの思い入れは人一倍だ(写真◎2022 S.FC)
昨季は収穫の多い1年に
――甲府への期限付き移籍から2年ぶりに復帰しました。
野津田 1次キャンプから状態が良く、練習や試合を重ねるごとにコンディションが良くなっています。プレーの質などはもう少し上げなければいけませんが、ケガもなく、良い感じでプレーできていますね。
――古巣に戻って、何か変化は感じましたか?
野津田 前回の期限付き移籍が3年間だったので、そのときほど久しぶりという感じはしなかったですが、新しい選手や若い選手が加わって、やっぱり少し変わりました。チームの雰囲気は、以前も良かったですが、より明るくなったと思います。みんながフレンドリーで、でも練習はピリッとした雰囲気でやれている。カシくん(柏好文)は明るく盛り上げていて、(佐々木)翔くんやアオさん(青山敏弘)は時に厳しく言って、チームを引き締めています。(林)卓人さんも、そういう声掛けをしてくれますね。自分たちの世代も、もっと声を出して引っ張らなければいけないと感じます。
――あらためて、甲府への期限付き移籍を決断した経緯を教えてください。
野津田 19年に広島に復帰した当初は試合に出ていましたが、19年途中から20年は出場機会が減り、まずいと感じていました。そんなときに甲府さんからオファーをいただいたので、しっかり試合に出て活躍し、成長しなければいけないと思ったのが理由です。もちろん最大の目標は甲府の勝利に貢献し、J1に昇格させることでしたが、その先には、成長した姿を広島で見せたいという思いがありました。
――甲府での背番号16は、広島の背番号7の『1+6』という意味ですか?
野津田 それも考えての16番です。14番と16番が空いていたので『7+7=14』にしようかとも思いましたが、16番をつけていた仙台時代の良いイメージもあったので、16番にしました。
――甲府ではリーグ戦41試合に出場し、J1昇格争いに貢献しました。
野津田 これまでと比べてダントツに多く試合に出て(20年までのリーグ戦最多出場は、仙台でプレーしていた18年の23試合)、シーズンを通してボランチでプレーできたのは、すごく大きかったです。どんなプレーでチームに良い影響を与えるかなどを、昇格争いの中で意識することで、多くの点で成長することができ、収穫の多い1年になりました。
――具体的に成長したところは何だと思いますか?
野津田 ボランチとしてチームのバランスを見ながらプレーする上で、どこにポジションを取り、どこまでプレスバックするのか、どこまで前にプレッシャーをかけて、どのエリアを締めるのか、といった守備のポジショニングは、常に求められたことで成長したと思います。運動量や、声掛けを含めて試合をコントロールすることも要求され、たくさん学びました。攻撃でも、ここにポジションを取れば、ここが空いてくる、といったことや、パスをつなぎながら試合をコントロールすることなど、状況を判断する見極めに手応えをつかみました。
――広島復帰を控えたオフも、しっかりトレーニングを積んでいたそうですね。
野津田 2日続けて休むことはせず、体を動かすことを意識しました。何もせずに休んだ日は、これまでのオフで一番少なかったです。そのぶん広島で始動してから、体がよく動いています。