上写真=大久保嘉人が引退会見で涙。思いの詰まった言葉の数々を口にした(写真◎J.LEAGUE)
「タイトルを取ったことのない自分に最後のチャンスが」
会見の席に着いたところからもう、涙は止まらなかった。大久保嘉人が11月19日に引退を発表してから3日後の22日、大阪市内のホテルで臨んだ記者会見で、「大久保嘉人は今シーズンをもって……」と最初の一言を絞り出すと号泣し、「泣かない予定やったんですけど、速攻泣いてしまいました」と照れた。
それだけ思いの詰まった記者会見になった。
「20年間という長い間でしたけど、本当に最高のサッカー人生でした」
その引き際は鮮やかだ。プロになったときから「まだまだできるだろうと思われるうちにやめたいと思っていました。それがいまなのかと思い、決断しました」と初心をまっとうした。決めたのは11月16日と発表の直前のこと。精神的な苦しさもあったと明かす。
「20年間、苦しい思いのほうが強くて、それを見せないようにしないといけないと思っていました。細い糸が一本ぎりぎりつながっている状態でずっとやっていて、1人になったときに、ここでやめたほうがいいのかなとふと思って」
その3日後に引退を公表すると、まさに「まだまだできるのに」の声が全国から届いた。
現在、Jリーグ史上最多の191ゴールを決めていて、200の大台は目前。決めるまでは、の思いもあったが、「取りたい気持ちはありましたけど、自分の力が足りなかったと思っています」と悔やんだ。だが、清々しさもあった。
「200得点を取りたい気持ちは誰よりも強かったし、チャンスがあるのは自分だけでした。取るまでやれと言う人しかいなかったですけど、自分の中でもよかったら取れるだろうし、悪かったらあと何年取れるかわからないという気持ちがあって、ならばこの時点でやめたほうがすっきりすると思いました。それで皆さんに伝えたら本当にすっきりしました。もう、そこを目指さなければいけないと言われることもないなと。自分の中では整理はついていますし、すっきりした気持ちです」
思い出のゴールは「いっぱいあります」としたものの、会見で言及したのは2つ。一つは、プロ初ゴールだ。2001年4月14日のジュビロ磐田戦。
「入団したときのジュビロ磐田戦の初ゴールですね。そこからスタートした思いがありますし、その場面がすぐに浮かんできます」
もう一つが、2004年にスペインのマジョルカに移籍して最初の試合で決めたリーガ・エスパニョーラでの初ゴール。1月9日、強豪のデポルティボ・ラコルーニャ戦だった。フル出場で1得点1アシストと最高のデビュー。
「試合が始まる前に、いつもは緊張しない自分が緊張したんです。なにか違うな、と。注目も集まっていたし、その中でのアシストとゴールはいまでも忘れられない」
「やんちゃ」というフレーズも代名詞で、プロ初ゴールの磐田戦でもせっかく8分に決めたのに、たったの32分で退場処分を食らっている。
「レフェリーの皆様には迷惑をかけましたし、謝りたいと思います」
引退発表の際にも言及した異例の「謝罪」は、この会見でも口にした。ただ、「皆さんがやんちゃと言ってくださったのは、自分らしいと思っていましたし、負けず嫌いはサッカーのときだけで、突き通せたことを誇りに思いながらやめていけるかなと思っています」と胸を張ったのもまた、大久保らしい。
「1年目から自分はめちゃくちゃで、長くサッカーはできないと思われていただろうし、自分でもその思いがありました。まさか39歳までやれるとは思っていたなかったし、(川崎フロンターレ時代に)3年連続で得点王を取ることも想像していませんでした。思っていた以上のサッカー人生が送れましたし、幸せなまま終われると思います」
でもまだ、シーズンは終わっていない。引退後のことはそれからの話で、選手としての大久保嘉人を見せつける時間を味わい尽くすつもりだ。
「リーグ戦で2試合、天皇杯で勝てば2試合あります。まだタイトルを日本のチームで取ったことのない自分に最後のチャンスがあるので、絶対に決勝まで行って、このメンバー、スタッフたち、関係者の皆さんと優勝して喜べたらいいなと思っています」
最後の最後までやんちゃを貫き通し、自身初のタイトルを高々と掲げるつもりだ。物語はまだ続いている。