この連載では、全国高校サッカー選手権に出場し、その後Jリーガーとなった選手を当時のお宝写真とともに紹介していく。第5回は、第75回~77回大会編。その後の日本サッカー界を背負って立つ才能が、夢の舞台で輝いた。

上写真=左から小笠原満男、中村俊輔、遠藤保仁(写真◎サッカーマガジン)

黄金世代が選手権に登場

 1996年末から97年にかけて開催された第75回大会(96年度)は、市立船橋(千葉)のストライカー、北嶋秀朗の大会だった。自身3度目の選手権に臨んだ北嶋は、初戦から準決勝まで5試合連続弾を記録すると、決勝でも貴重な先制点を奪取。エースの名に相応しい活躍で、チームに2年ぶり2度目の優勝をもたらした。

 一方、決勝で敗れはしたものの桐光学園(神奈川)の健闘も光った。チームをけん引したのが中村俊輔。準決勝前に体調を崩し、決勝でもコンディションは万全ではなかったが、柔らかなボールタッチと正確無比のFKで潜在能力の高さを随所に発揮。チームを神奈川県勢として48年ぶりの決勝に導く活躍を見せた。

 第76回大会(97年度)は激しい雪の中で決勝が行なわれ、いまもサッカーファンの間で語り継がれる大会。国立での『雪上決戦』は、本山雅志、手島和希、古賀誠史ら多彩なタレントをそろえた東福岡(福岡)と、名将・小沼貞雄監督が復帰した帝京(東京)が激突し、東福岡が逆転で勝利。東福岡は大会初優勝を飾るとともに、インターハイ、全日本ユースとの3冠を達成した。

 なお、本山や中田浩二(帝京)ら1979年組は『黄金世代』と呼ばれ、早くから注目を集めていた学年だった。選手権では目立った成績は残せなかったものの、遠藤保仁(鹿児島実業・鹿児島)、小笠原満男(大船渡・岩手)、加地亮(滝川二・兵庫)らも同い年で、彼らがその後の日本サッカー界をけん引していくことになる。

 続く第77回大会(98年度)も、決勝のピッチには前年と同じく、東福岡と帝京が向かい合った。帝京が先制し、東福岡がそれを追うという試合展開も同じ。そして、この年も東福岡が逆転勝利を飾り、帝京が第62、63回大会に成し遂げて以来の連覇を達成した。東福岡の中心として活躍した宮原裕司、金子聖司、千代反田充らは高校卒業後、プロの道に進んだ。

◆北嶋秀朗

画像: 北嶋秀朗(市立船橋高校)

北嶋秀朗(市立船橋高校)

画像: 柏レイソル時代(1997-2002,06-12)/写真◎J.LEAGUE

柏レイソル時代(1997-2002,06-12)/写真◎J.LEAGUE

北嶋秀朗(きたじま・ひであき)◎1978年5月23日生まれ、市立船橋高校。第73、74、75回(94、95、96年度)選手権に出場。3年連続で出場し、うち1年時と3年時で優勝。当時最多となる大会通算16ゴールを記録し、選手権の申し子と呼ばれた。柏レイソルでもエースとして活躍し、2011年のJ1初優勝に貢献。現在は大宮アルディージャでコーチを務める

◆中村俊輔

画像: 中村俊輔(桐光学園高校)

中村俊輔(桐光学園高校)

画像: 横浜FC時代(2019-)/写真◎J.LEAGUE

横浜FC時代(2019-)/写真◎J.LEAGUE

中村俊輔(なかむら・しゅんすけ)◎1978年6月24日生まれ、桐光学園高校。第74、75回(95、96年度)選手権に出場。日産(横浜FMの前身)ユースに昇格できず、桐光学園へ。のちに「俺の分岐点」と語る3年間が日本屈指のファンタジスタを育んだ。横浜マリノスでプロキャリアをスタートさせ、日本代表でも10番を背負って活躍。昨季から横浜FCでプレーし、今季でプロ24年目を迎える

◆遠藤保仁

画像: 遠藤保仁(鹿児島実業高校)

遠藤保仁(鹿児島実業高校)

画像: ガンバ大阪時代(2001-)/写真◎J.LEAGUE

ガンバ大阪時代(2001-)/写真◎J.LEAGUE

遠藤保仁(えんどう・やすひと)◎1980年1月28日生まれ、鹿児島実業高校。第74、75、76回(95、96、97年度)選手権に出場。レギュラーとなった2年時は多彩な展開力でチームを8強に押し上げたが、期待された3年時は負傷明けで出番は2回戦のみ。選手権は不完全燃焼に終わったが、プロ入り後は輝かしいキャリアを積み上げ、J1でも歴代最多タイの631試合に出場。日本代表としても最多の152キャップを刻んだ

◆本山雅志

画像: 本山雅志(東福岡高校)

本山雅志(東福岡高校)

画像: 鹿島アントラーズ時代(1998-2015)/写真◎J.LEAGUE

鹿島アントラーズ時代(1998-2015)/写真◎J.LEAGUE

本山雅志(もとやま・まさし)◎1979年6月20日生まれ、東福岡高校。第74、76回(95、97年度)選手権に出場。3冠を達成した東福岡のスーパーエース。閃光のようなドリブルとスルーパスを自在に操り、クリエイティブな攻撃を演出した。決勝では、いまも語り継がれる帝京との雪中の激闘を制す。鹿島アントラーズでも長く10番として活躍し、2016年から19年まで地元のギラヴァンツ北九州でプレーした

◆中田浩二

画像: 中田浩二(帝京高校)

中田浩二(帝京高校)

画像: 鹿島アントラーズ時代(1998-2004,08-14)/写真◎J.LEAGUE

鹿島アントラーズ時代(1998-2004,08-14)/写真◎J.LEAGUE

中田浩二(なかた・こうじ)◎1979年7月9日生まれ、帝京高校。第76回(97年度)選手権に出場。高校入学後にFWからボランチに転向し、正確な左足キックで頭角を現した。3年時は主将としてチームをリードし、決勝で東福岡に敗れたものの、ファンの間では「雪の王子様」と呼ばれた。プロ入り後は海外にも渡り、2014年に鹿島アントラーズで引退した


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