上写真=鳥栖時代に定位置を争った大畑歩夢と代表でプレーすることは「素直にうれしい」と中野伸哉は語った(写真◎Getty Images)
U20W杯、落選のショックを乗り越えて
21時近くになっても30度を上回るバーレーンの酷暑の中、滴り落ちる汗を拭いながらガンバ大阪の中野伸哉は笑顔を見せた。
「ユースからの先輩で、トップでもライバルとしてやってきた選手と、代表チームでまた一緒にやれるのはすごくうれしいですし、これからも切磋琢磨して頑張っていきたいと思います」
その先輩とは、浦和レッズの大畑歩夢のことだ。21年シーズンにふたりはサガン鳥栖で熾烈なポジション争いを繰り広げた間柄だ。
「鳥栖のサポーターは喜んでくれていると思います。今回は基本、『左サイドで』と(大岩剛)監督から言われているので、ここでも争うことになります(笑)」
21年シーズン終了後、浦和に移籍した大畑に対して、中野は今夏、G大阪に期限付き移籍をした。「鳥栖から海外に羽ばたく」ことを夢見ていた中野にとって、決して簡単な決断ではなかったが、環境を変える必要性にも迫られていた。
「(ダニエル・)ポヤトス監督からも来てほしいと言われたんです。鳥栖で試合には絡めていなかったので、必要とされるところで、チャンスがあるなら行くべきかなって。自分で決断したことなので、正解だったと言えるように今、頑張っています」
実際、8月26日のサガン鳥栖戦、9月2日の北海道コンサドーレ札幌戦と2試合続けて途中出場を果たし、出場機会を増やしつつある。AFC U23アジアカップ予選(パリ五輪アジア1次予選)に臨むU-22日本代表への初選出は、そんな状況で届いた吉報だったのだ。
「久しぶりの代表なのでうれしいです。今回だけで終わらないように、次につなげられるように、試合に向けていい準備で取り組みたいですね」
20年8月には16歳11か月15日でトップデビューを飾り、21年2月には17歳6か月10日のJリーグ史上最年少でJ1開幕戦スタメン出場を果たした。その年3月には飛び級で東京五輪代表の親善試合にも招集された逸材だ。
しかし、その年5月にレギュラーの座を明け渡すと、中野の姿をピッチで見る機会が減っていった。
「ユースでもジュニアユースでも、トップに来ても試合にずっと出ていたので、試合に出られないとか、ベンチ外というのが受け入れられず、メンタルがすごく落ちてしまって……」
主力として期待されていた今年5月のU-20ワールドカップ・アルセンチン大会も、まさかの落選。少なからぬショックを受けた。
「正直行けると思っていましたし、メンバー発表で自分の名前がなかった時はすごく悔しかったですね。でも、終わったことなので、これからやるしかないっていう気持ちでしたし、W杯ではグループステージで敗退してしまいましたけど、自分が出ていたら、もっと力になれたのかなって、そういう自信もあります」
G大阪では新しいチームメイト、新たな戦術に触れ、刺激的な日々を送れているという。
「今はこれまでの苦しい時期があったからこそ、って言えるように頑張っています。代表でもチャンスをしっかり掴みたいと思います」
一時のスランプからは抜け出したようだ。もとより能力に疑いの余地はない。中野伸哉の止まっていた時計の針は、再び大きく動き出した。
文・写真◎飯尾篤史