連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、2年間で鮮やかな復活を果たしたイタリアの名門。ポルトガル人の名将が率いたカルチョらしさ満載の、2008-10年のインテルだ。

上写真=モウリーニョの監督就任でチームは変わり、インテルは45年ぶりにビッグイヤーを掲げた(写真◎Getty Images)

文◎北條 聡 写真◎Getty Images

スペシャルワン

 名将イビチャ・オシムによればサッカーには「創造」と「破壊」の2つのタイプがあるという。ひたすら守り通し、相手の武器を取り上げる破壊のサッカーを、オシムは『モウリーニョ主義』と呼んでいた。言い換えれば、負けないサッカーへのこだわりだ。

 だが、勝てば官軍である。

 実際、結果(栄冠)だけを求める人々も少なくない。イタリアの名門インテルを束ねる会長も、その1人だった。

 亡き父アンジェロの会長時代の栄光――『グランデ・インテル』の復活を夢見ていた。そこで、あの男を指揮官として迎え入れる。いまから10年前の夏だった。

 マッシモ・モラッティはインテルの会長に就任した1995年以来、莫大な資金を投じて強化に努めてきた。一説には10年間で約5億ユーロを使ったとも言われる。だが、その間に手にした栄冠はただ1つ。1998年のUEFAカップだけだ。ヨーロッパ最強クラブを決めるチャンピオンズリーグ(CL)のタイトルはおろか、スクデット(セリエAの優勝盾)の獲得すら、ままならなかった。

 一時はサポーターの反感を買って会長職を追われたが、2005年に復帰する。すると、インテルはセリエA3連覇。ようやく念願のスクデットを手中に収めたが、モラッティの野心はまだ満たされていなかった。事実、3連覇へ導いた功労者のロベルト・マンチーニ監督をあっさり解任している。肝心のCLでは、3シーズン連続でベスト16に終わっていたからだ。

 インテルはユベントス、ミランと並ぶ御三家の1つだが、全盛期は1960年代まで遡る。チャンピオンズカップ(CLの前身)で連覇を果たした『グランデ・インテル』の時代だ。この華々しい黄金時代を最後にインテルは、ヨーロッパの頂点を極めていない。2008年と言えば、クラブ創設100年目。まさに節目の年でもあった。

 そこで目をつけたのが、ちょうと「浪人」の身であるポルトガルの指導者だ。自ら『スペシャルワン』(特別な存在)と名乗る不遜な男。あのジョゼ・モウリーニョだった。

21世紀のエレニオ・エレラ

 インテルの正式名称はインテルナツィオナーレ・ミラノである。ミランの反主流派が分離・独立を果たした末にできたクラブだ。

 国籍を問わず、世界中の選手に門戸を開く――という意味から、インテル(英語でインターナショナルの意味)と名乗ることになった。もっとも、代々国際色豊かなのは陣容だけではない。

 指揮官もそうだ。

 例の『グランデ・インテル』を率いたのは、アルゼンチン生まれのモロッコ育ちという異色の人。伝説のエレニオ・エレラだ。現役時代はフランスでプレーしたが、指導者へ転じると、スペインで名を上げた。その経歴自体、実に「インテル的」である。

 1958年にバルセロナの監督に就任。国内リーグで連覇を達成したが、チャンピオンズカップで不倶戴天の敵レアル・マドリードに敗れたことが尾を引き、指揮官の座を追われている。そのエレラを引き抜いたのが、モラッティの実父アンジェロだった。1960年夏のことだ。

 同時にアンジェロはバルセロナからエレラの秘蔵っ子、ルイス・スアレスも引き抜いている。同年にスペイン人で初めてバロンドール(ヨーロッパ年間最優秀選手)を受賞する当代屈指の司令塔だ。
 そして、エレラの就任3年目にチャンピオンズカップを制して、黄金期の幕が上がる。グランデ・インテルの代名詞は、分厚い守備と鋭いカウンターアタック。あの歴史に名高い『カテナチオ』を世に知らしめたのも、エレラの時代のインテルだった。

「サッカーは、死んだ……」

 当時、イングランドをはじめとするヨーロッパのメディアはこぞって、そう書き立てている。インテルのディフェンシブな戦いぶりが気に入らなかったからだ。オシムの言葉を借りれば「破壊のサッカー」である。攻めてナンボ――という牧歌的な時代に現れた冷徹なマシン。勝つためだけに作り込まれたチームだった。

 それから半世紀、アンジェロの息子マッシモが連れてきたポルトガル人の哲学や経歴も、エレラのそれとよく似ていた。祖国の名門ポルトではCLを制し、チェルシーではリーグ連覇。国際経験が豊富なうえに、強固な守備と鋭利なカウンターアタックを売り物にしていた。

 やれ退屈だ、守備的だ、と批判されても、どこ吹く風。誰が何と言おうが、勝った(栄冠を手にした)のはオレ様だ――と。それこそ、インテルの新監督は『21世紀のエレラ』だった。


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