45年ぶりのビッグイヤー
世界が注目した「決戦」の合計スコアは3-2。インテルが得失点差でバルサを上回った。
ホームの第1戦は3-1、アウェーの第2戦は0-1。インテルの盾は二度貫かれたが、決め手はむしろ、矛の方だった。深く守れば失点のリスクが減るものの、反撃しにくい。要するに得点するのが難しいわけだ。しかしインテルには、その壁を乗り越える力があった。
いくら何でも引きっぱなしでは勝てない。機を見てラインを押し上げ、高い位置でボールをかすめ取り、一気に速攻へ転じる。そうして初めて得点チャンスが生まれるからだ。
インテルの守備力が別格だったのは失点回避のみならず、ボール奪取にも優れていたことにある。基本は引いて守っていたが、ここという場面で前のめりのプレスからバルサのパスワークを破壊し、次々とゴールを陥れた。
特に右サイドにおけるエトオとマイコンのタンデムは、攻守の両面で強力だった。カウンターはもとより、守りに回っても球際を制するフィジカルの強さを前面に押し出し、しばしばバルサの技術をねじ伏せている。
速さ、強さ、高さ――。それがバルサの巧さに対抗する手段でもあった。だからといって、インテルの面々が下手だったわけではない。だからこそ、バルサに乏しい速さ、強さ、高さが武器になったとも言える。
決勝はドイツの強豪バイエルンに2-0と快勝。2つのゴールはいずれもミリトが決めている。バルサを破った第1戦で1得点2アシスト。サイズこそ恵まれていないが、裏抜けの速さ、ポストワークの巧さに卓越していた。
ファイナルでの先制点はGKの縦パスを頭で落とし、スナイダーのスルーパスから抜け出したものだ。パス2本でフィニッシュという、いかにもインテルらしい電光石火の早業だった。
こうしてモウリーニョのチームは、45年ぶりとなるビッグイヤー(CL優勝カップ)を獲得。それは「第2次グランデ・インテル」と呼ぶべき快挙と言っていい。
栄光はCL制覇だけではない。ユベントス、トリノに続くセリエA5連覇、さらにはコッパ・イタリアでも優勝し、イタリア史上初の「三冠」を手にした。まさにインテルの、インテルによる、インテルのためのシーズンだった。自身2度目のCL優勝へ導いたモウリーニョは、試合後の会見でこう話した。
「スタメンにイタリア人はいなかったが、我々はイタリアの文化を持ったチームだ。実際、イタリアのサッカーを披露することができた。それを誇りに思う」
イタリアという言葉を「エレラのインテル」と言い換えてもいいのだろう。カテナチオを現代風にアレンジした戦いぶりは、紛れもなくカルチョの流儀に根ざしたものだった。
著者プロフィール◎ほうじょう・さとし/1968年生まれ。Jリーグが始まった93年にサッカーマガジン編集部入り。日韓W杯時の日本代表担当で、2004年にワールドサッカーマガジン編集長、08年から週刊サッカーマガジン編集長となる。13年にフリーとなり、以来、メディアを問わずサッカージャナリストとして活躍中。