2021年秋にスタートする日本女子プロサッカーリーグ『WEリーグ』の初代チェアに就任した岡島喜久子(おかじま・きくこ)氏が、現在住んでいるアメリカからオンライン上で就任会見を行なった。ニューノーマルな時代のチェアとしてリーグの発展に力を注ぐ。

上写真=91年からアメリカ在住の岡島チェア。年6回は日本に帰国するという(写真◎スクリーンショット)

サッカー少女たちへのメッセージ

 日本女子サッカー界の大きな一歩として期待されている『WEリ-グ』の初代チェアに就任した岡島喜久子氏は、あいさつの冒頭で「日本の少女たち」にメッセージを送った。

「WEリーグ創設は女子サッカー界にとって非常にいいニュースです。ぜひ、日本の少女たちにスタジアムで選手のプレーを見てほしい。WEリーガーが夢の職業になるように、やってきたい」
 
 岡島チェアは自身もサッカー少女だった。中学生のときにサッカーを始め、男子チームに混ざって活動していたが、高校進学と同時に部活動でサッカーを続けることができないため、FCジンナン(日本初の女子クラブチーム)に入会し、プレーを続けた。大学進学後もサッカーとともに歩き、社会人になる際も「外資系なら土日が休みでサッカーができるので」と就職先を選んだほど。

 78年には、FCジンナンの選手としてAFC女子選手権に参加。翌年には日本女子サッカー連盟初代理事メンバーとなる一方で、83年には日本女子代表チームの選手として、広州女子国際大会に登録された。84年には日本女子サッカー連盟の事務局長に就任し、代表チームの主務としても活動した。89年に海外へ転勤となったことを機に現役を引退。96年にはアトランタ五輪に臨む日本女子代表チームのスカウティング業務をサポートした。

 その後、アメリカの大手金融会社の要職を務めるなど活躍していたが、2018年10月、都内のホテルで開かれた『メキシコ・オリンピック50周年記念パーティー』に出席した際に、同席した金田喜稔さんの紹介で多くの関係者と知り合ったという。そこから設立に向けて大きく動き出した女子プロリーグに関わるようになった。

 本人は「裏方としてサポートするつもりで、チェアになるとは思いませんでした」と振り返ったが、この日の会見に同席した佐々木則夫設立準備室長は、「競技面、事業面などを考えても適任です。岡島さんは現役を終えたあとに社会に出られて活躍されている。女性が活躍する社会を願うリーグにとってのモデルケースでもあります。このような新しい社会の中で活躍することを考えても適任ですし、満場一致でチェアをお願いしようとなりました」と就任の経緯を説明した。

「選手にはピッチで素晴らしい試合をみせることをお願いしたい。それから少女たちや、一般の女性の方と交流ができるようなことをしたいと思っています。そういう場を提供していきたい。これまでにない形で、いろいろと取り組んでいきます」と決意を語った岡島チェア。アメリカに暮らしながら、「リーグの発展に取り組んでいく」のも、ニューノーマルな時代にふさわしいのかもしれない。

「女子選手の引退後の受け皿もつくりたいという気持ちがあります。アマチュアでそのまま企業にいらっしゃる方もいますが、女子サッカーが仕事として続いていく形にしていきたい」とも話した。日本の女子サッカーの底辺を広げながら、女子選手の価値を高めることに力を注ぐ。まずは協賛企業との交渉をまとめ、リーグ基盤の安定を図る。そしてWEリーグの認知を広げ、世界の一流選手が日本で見られる環境を整える。その結果、女子のプロサッカー選手『WEリーガー』になることを夢見る少女が増え、日本の女子サッカーがますます発展するーー。

 岡島チェアは大きな責任を引き受け、WEリーグを先頭に立って引っ張っていく。


This article is a sponsored article by
''.