連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、イングランドで長期政権を築いたフランス指揮官が、創り上げたアーセナルだ。その魅力に迫る。

慧眼による適材適所

画像: 左からビエラ、ピレス、アンリ、奥にベルカンプ、アシュリー・コール、ジウベルト・シウバ(写真◎Getty Images)

左からビエラ、ピレス、アンリ、奥にベルカンプ、アシュリー・コール、ジウベルト・シウバ(写真◎Getty Images)

 いかに若いタレントの潜在能力を引き出すか。チャンスさえ与えれば、勝手に育つ――という単純な話ではない。

 その点、ベンゲルは彼らの正しい扱い方を心得ていた。その一つに「適材適所」がある。誰を、どこで、どう使えばいいのか。ベンゲルには先入観に縛られず、各々の「適所」を見抜く力があった。その好例がコンバート(ポジションの転向)だ。

 最大のヒットがアンリだろう。ウイングからストライカーに転向させたことで、ガナーズ史上最高の「大砲」が産み落とされた。また、右のサイドバックだったコロ・トゥーレをセンターバックへ回す決断も吉と出る。無敗優勝を飾ったシーズンのことだ。

 さらに、FWのビルトールを右のウイングで使ってもいる。こつ然とゴール前へ現れるフランス人の神出鬼没も、相手ディフェンスを大いに悩ませることになった。

 コロ・トゥーレとビルトールによく似た例が、名古屋の監督時代にもあった。左サイドバックからセンターバックへ転向した大岩剛、FWから右翼に回った岡山哲也だ。いずれも見事に成功し、ベンゲル時代の中核を担っている。

 さらにベンゲルは、ボランチの望月重良を2トップの一角に据えることもあった。大胆な起用法に思えたが、ベンゲルは「なぜ彼をトップで使ってこなかったのか。むしろ、こちらが聞きたいくらいだ」と話している。

 技術的にも、キャラクターの面でも、望月はFW向きだ――と。見える人には、見える。身もふたもないが、そういうことか。

 オランダ時代はウイングだったファンペルシーも、ベンゲルの下で一流のストライカーへと飛躍。まさに「ポスト・アンリ」としてガナーズを支えている。

 大金を投じなくともワールドクラスを手にする「錬金術」がなければ、ベンゲル政権は短命に終わっていたかもしれない。もっと言えば、1試合の集客で大金が転がり込むエミレーツ・スタジアムの完成も先送りされていたか。

パスワーク+走力

 逸材を育てて、適材適所を遂行すれば、あとはどう戦うか――。その点においてもベンゲルの手腕は卓越していた。

 代名詞と言えば、ピンボールのようなパス・アンド・ムーブだ。ただし、バルセロナ(スペイン)式のパスワークとは、かなり趣が違う。少ないタッチで、前へ前へとボールを運んでいく。バルサのそれが「急がば回れ」なら、ガナーズのそれは「急がば急げ」である。速い。とにかく、速い。まるでカウンターアタックのようなスピード感だ。

 アンリを擁した時代のガナーズは、ベンゲルの同胞であるフランス人が主力の半数近くを占めていた。極端な「フランス化」が物議を醸したこともある。

 だが、ベンゲル式パスワークは、『シャンパン・フットボール』と呼ばれた1980年代のフランスのエスプリの効いたパス交換とも違っていた。ベンゲルが言う。

「確かにフランス人は多い。しかし、我々のハイテンポなスタイルは明らかに『プレミア風』だ」

 言わばパス・アンド・ラッシュである。縦パスをガンガン入れていく。もっとも、前線の数には限りがある。そこで味方が後ろから次々と追い越して、パスコースを作り出すわけだ。

 この、人の波こそ「ラッシュ」である。ベンゲルはそれを選手たちに強要してはいない。しかし、日々の練習を通じ、人を追い越す動きが習慣化されていた。縦志向のパスワークに走力が「加算」され、独特のスタイルが生まれたと言ってもいい。

 本来、テンポが上がれば、事故が起こりやすい。だが、ベンゲルのそろえる面々には確かな技術があった。ゆえに走力を強みにすることができたわけだ。

 バルサ式の理詰めのパスワークと比べれば、はるかに冒険的で、リスクも高い。そのぶん、スリルとサスペンスに満ちていた。いかにもイングランド人好みのハイテンポで突っ走るパス・アンド・ラッシュは、シーズンを重ねるごとに尖っていった感もある。そして「アンリ以後」のガナーズを象徴するチームが現れた。

 それが『セスクと、その仲間たち』である。2007−2008シーズンのことだった。


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