連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人、試合を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、90年代初頭にヨーロッパを席巻し、フランス勢初の快挙を成し遂げたオリンピック・マルセイユだ。

翼の生えた魔法使い

画像: ミランのアンチェロッティとボールを争うクリス・ワドル(写真◎Getty Images)

ミランのアンチェロッティとボールを争うクリス・ワドル(写真◎Getty Images)

 相手は飛ぶ鳥を落とす勢いだったミラン(イタリア)だ。革新的なプレッシング戦術を操り、向かうところ敵なし。その最強ミランを、運も味方につけて、敗退へと追い込んだのである。この決戦でミランを苦しめたのが、ゲタルスの試みる新システムだった。それはローマ神話における海の神ネプチューンが手に持つ「アレ」を連想させた。

 いわゆる、三叉の槍――。前線のトライアングルが密接にリンクするトリデンテ・システム(1トップ2シャドー)だった。
 ゲタルス式システムを数字で表せば、3-4-2-1。2トップが主流の当時としては、めずらしい構成だった。

 1トップはパパン、その背後につける2人のシャドーがイングランドの奇才クリス・ワドル(右)と、ガーナの英雄アベディ・ペレ(左)だ。どちらも魔法の左足と強力なドリブルを持っていた。球を持てば捕まらず、ミランの苛烈なプレッシングを空転させている。特に圧巻だったのがワドルだ。独特のステップ、左右に揺れるフェイント、派手な切り返しで若きマルディーニを手玉に取り、次々と好機を作り出した。

 ワドルとペレは、しばしば外に開いて、鋭いカウンターアタックの起点になっている。ゲタルスの狙いも、そこにあった。3-5-2システムでは自陣に押し込まれて5バック気味になると、逆襲へ転じにくい。縦のパスコースが先細りになっているからだ。球を奪っても、預ける先がほぼ2トップしかなくなる。

 だが、ゲタルスのシステムではボールサイドに流れるワドルとペレが縦パスを引き出し、そこから鋭く前へ球を持ち出すことができる。こうして電撃的なカウンターアタックが成立したわけだ。左利きながら右サイドを主戦場にしたワドルはパスの名手でもあった。パパンの頭に吸い付くようなピンポイントクロスに加えて、左のペレを走らせるサイドチェンジや敵の最終ラインを斜めに切り裂くスルーパスを持っていた。

 言わば、サイドに組み込まれた司令塔である。1994年アメリカ・ワールドカップでルーマニアを8強へ導いたゲオルゲ・ハジも同じ役割を担っていたが、ワドルはその先駆的存在だった。一方、ゲタルスの寵愛を受けた左のペレは自ら球をもってエリア内に侵入し、相手をカオスへ巻き込んでいる。大柄のワドルにはない俊敏性と機動力で狭いスペースでの仕掛けを苦にしなかった。

 スピアヘッドのパパンは2人の手厚いフォローを背景に当代きってのゴールマシンと化していく。この絶対エースを頂点とする魅惑のトリデンテ(三叉槍)は、破竹の快進撃を演じる新生マルセイユの切り札だった。そして、ミランを負かした勢いを駆って、ついにチャンピオンズカップ決勝へ駒を進めることになる。1991年5月のことだ。

 しかし、東の刺客レッドスター(当時ユーゴスラビア)の堅陣を崩せぬまま、PK戦の末に敗れてしまう。そして、再び「破壊」が始まることになった。

第二次ゲタルス政権

画像: チームの得点源だったパパンもタピにより放出されてしまった(写真◎Getty Images)

チームの得点源だったパパンもタピにより放出されてしまった(写真◎Getty Images)

 怒り狂ったタピは、まず功労者のゲタルスを指揮官の座から引きずり落とすと、ストイコビッチ、カントナ、ベルクリュイスを切り捨てる。あげくの果てには歴戦の勇者ジャン・ティガナをも引退へと追い込んだ。殿の「ご乱心」はしかし、これで終わらない。1年後の1992年夏には、ついにパパンとワドルにリベロのモーゼルという三本柱をまとめて売り飛ばす。

 そんなマルセイユを見事に再生させたのが、古希(70歳)を迎えた魔術師だった。第二次ゲタルス政権の発足である。新たな人的資源を使って、例のシステムを再び機能させていく。攻撃陣の顔ぶれは華やかさに欠けたが、中盤と最終ラインの陣容はむしろ、強化されていた。

 3バックは、いずれも鋼のような肉体と高い運動能力を誇る黒人選手だ。リベロにバジール・ボリを据え、2人のストッパーにはジョスリン・アングロマと若き日のマルセル・ドゥサイイーを抜擢。泣く子も黙る屈強のトリオを完成させている。中盤4人は右からジャン=ジャックス・イエデリー、フランク・ソゼー、ディディエ・デシャン、エリック・ディメコ。特に強力だったのが、中央に陣取るソゼーとデシャンの代表ペアだ。

 大柄なソゼーは司令塔、小柄なデシャンは猟犬という個性の違いはあるが、いずれも球を狩る力に卓越し、敵の圧力をかわして球を逃がす力もあった。激しいプレスの掛け合いで優位に立つには持ってこいの組み合わせ。彼らが文字どおり、攻守の心臓だった。

 守備組織はきわめてコンパクトで隙がない。裏のスペースを狙われてもラインを押し上げて危機を回避する。このあたりが、いかにもゲタルスのチームらしい。何しろオフサイド・トラップは広く知られたベルギーのお家芸。その極意に通じるゲタルスにとって、嵌め手を落とし込むことなど造作もなかった。

 看板のトリデンテは再編され、1トップにはクロアチアの新鋭アレン・ボクシッチを据え、右には元西ドイツ代表の急先鋒ルディ・フェラーを起用。そして、左にはゲタルスのお気に入りである千両役者のペレが健在だった。第二次政権の一大特徴は「より速く・より強く・より高く」というフィジカルの強みにある。ゲタルスは、それを最大限に引き出すことに腐心した。

 こうして見事に仕上がった新生マルセイユは、チャンピオンズリーグへと名称が変更された第1回の大会を順調に勝ち上がり、ついに二度目のファイナルへ駒を進める。1993年5月26日、舞台は名門バイエルン(ドイツ)の根城であるミュンヘンのオリンピア・シュタディオン。相手は因縁浅からぬミランだった。


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