連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、2010年のワールドカップで異端のサッカーを披露し、世界のファンを驚かせたチリ代表だ。

3-4-3の導入

画像: メデル(左)とビダルらチリの選手たちの球際の強さは際立っていた(写真◎Getty Images)

メデル(左)とビダルらチリの選手たちの球際の強さは際立っていた(写真◎Getty Images)

 南ア大会では、1つの守備戦術がトレンドになっている。自陣に二層の「人壁」を築くブロック・ディフェンスだ。

 守るが勝ち――。つまり、右派のフットボールだ。モウリーニョ主義と言い換えてもいい。当時、強固なディフェンスを基盤にした名将ジョゼ・モウリーニョの成功にあやかろうとする指導者が続々と「保守」へ転じたわけだ。

 ビエルサ率いるチリは、当代の常識に敢然と逆らう、異端の集団だった。ビエルサは、言う。

「相手がどこだろうが関係ない。私はすべての試合で我がチームが主役になることを望んでいる」

 事実、ビエルサイズムはホンジュラスとの初戦から全開だった。よく走り、よく闘う――。立ち上がりから猛烈なプレス・アンド・ラッシュで圧倒。敵陣から激しく圧力をかけ、受け身に回った相手を一方的に攻め立てた。

 放ったシュートの数はホンジュラスの7本に対し、3倍近い20本を記録。スコアは左ワイドを担うボーセジュールの1点にとどまったが、冒険心あふれる徹底攻撃は観衆を魅了するものだった。

 チリ国民は、48年ぶりの勝利に沸いたが、ビエルサとその子供たちの野心は、これで終わらない。続く第2戦でスイスを破り、早々と「突破」を決めたのだ。

 初戦で本命スペインの足をすくったスイスが、開始30分で退場者(MFベーラミ)を出して、数的優位に立つ幸運もあった。ただ、これでスイスが「籠城戦」に徹したのも事実。逆襲から失点するリスクが減ったことと引き換えに、堅牢な守備ブロックを崩しそこねる恐れも生じたわけだ。

 ここで落とし穴にはまらなかったのも、トレンドに抗う攻撃精神の賜物。敵に守られると、たちどころに馬脚を現す右派の弱みとは無縁だった。

 チリのシステムは、初戦で試みた4-2-3-1ではない。斬新な3-4-3。あのファンハールの率いるアヤックスが用いていた独特のシステムである。

 ちなみに、パスワークの基本となるトライアングルの数が最も多いシステムとしても知られたものだ。チリは敵陣で「保持と奪取」を高速回転させて、スイスにほぼ付け入るスキを与えなかった。

 スコアは1-0。再び最少得点に終わったが、2列目から次々と人が飛び出す攻撃のダイナミズムは圧巻。75分に裏へ抜けたパレデスの折り返しをM・ゴンサレスが頭で押し込み、前回大会から続くスイスの無失点記録を558分で止めてみせた。

 ビエルサの策も冴えた。後半、1トップのスアソをベンチに下げて、バルディビアとM・フェルナンデスという「2人の司令塔」を最前線に並べる変則のゼロトップへ。ここにクサビを打ち、2列目の裏抜けからワイドを突く「ブロック崩し」が見事に当たった。

 チャンスは多いが、決め手にかける弱点は、傑出したタレントを持たない小国の宿命。やがてチリのエースへのし上がる右翼のA・サンチェスも、当時はまだ21歳の昇り竜だった。

マンマークの企み

画像: スペインのダビド・ビジャからボールを奪わんとするポンセ(写真◎Getty Images)

スペインのダビド・ビジャからボールを奪わんとするポンセ(写真◎Getty Images)

 連勝を飾ったチリは、フランス大会以来となるベスト16へ駒を進めた。1位通過か、2位抜けか。グループステージ最終戦の意味はそこにあった。

 もっとも、相手はスペインだ。果たして、本命相手に徹底攻撃は可能か否か――。人々の耳目が集まる中、ミッション・インポッシブルに挑むビエルサの企みが明らかになった。

 いくら徹底攻撃の看板を掲げても、スペインから球を取り上げないことには攻めようがない。球の支配力にかけては当代随一、いや古今東西の最高峰と言うべきスペインから、いかに球を奪うのか。ビエルサの策は、コレである。

 マンマーキングだ。

 ゾーン(地域)を守るブロック戦法では常に隙間が生じる。その狭いスペースを利用して、楽々と球を出し入れするスペイン相手にはリスクが付きまとう。

 ところが、マンマークはゾーン(地域)ではなく、人に張り付く戦法だ。いくらスペインの達者な面々も敵にべったり張り付かれたら、仕事はやりにくい。

 しかも、チリの面々は球際の争いに滅法強い。遠慮なく体をぶつけ、激しくファイトする。味方がマークされて、逃がし場所を失ったボールホルダーは自ずと接近戦に巻き込まれていくわけだ。

 球はよく走る一方、人はそれほど動かない――というスペイン流パスワークの特徴もマンマークを実行するには都合がいい。相手を捕まえやすく、マークの受け渡しも少ない上に移動距離も短い。

 1対1の争いで負けなければ、パスミスを誘発し、局面を有利に持っていける。スペインには独りで局面を打開する突破力に秀でた人材は少ない。マンマークを試みる「利と理」があるわけだ。
 捨てられて久しい戦法を歴史のごみ箱から取り出して、現代風にアレンジする。ビエルサの「温故知新」が、打倒スペインのカギを握っていた。

 だが、企みは失敗に終わる。

 まずGKのクリアミスから先制点を許すと、見事なパス交換からイニエスタに決められて2点差。しかも、ここで司令塔のシャビをマークしていたMFのエストラーダが一発退場。事実上、勝負は決したと言える。

 もっとも、最終スコアは1-2だ。後半開始早々に1点を返し、その後もアグレッシブに攻め続けた。10人になっても、スペインをマンマークで苦しめ、失点のリスクを恐れず、攻めに転じた。決して哲学を曲げないビエルサイズムの面目躍如だった。

 余談だが、打倒スペインの企みは、4年後のブラジル大会で実を結ぶことになる。ビエルサを信奉するチリ代表のホルヘ・サンパオリ監督が同じ手法を用いて、王者スペインを葬ってみせた。

 奇抜なアイディアを思いつく者が4年越しで、変人から脱した瞬間だろうか。いずれにしろ、チリに脈打つ「異端」の始まりは、このビエルサ時代にあった。


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