連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、2006年のワールドカップを制したイタリア代表だ。その戦いぶりは千変万化。『智将のアズーリ解体新書』のごときチームだった。

上写真=24年ぶりの優勝を果たしたイタリアの主将カンナバーロ(写真◎Getty Images)

文◎北條 聡 写真◎Getty Images

カルチョポリ

 決して強い者が生き延びてきたのではない。変化に適応してきた者が生き延びてきたのだ――。

 近年、適者生存の要約として、そんな言葉が盛んに喧伝されている。真偽はともかく、必要なときに「変われる者」は強い。
 過去の成功体験にしがみつき、何度も辛酸をなめてきたアズーリ(イタリア代表の愛称)も、ついに変わるときが来た。当代随一の戦術家が手がけた適者生存の法。それが、24年ぶりの栄冠をもたらすことになった。

 2006年、超大国のドイツで二度目のワールドカップが開催された。5年前にアメリカで起きた同時多発テロの衝撃が世界に暗い影を落とした頃である。

 10年後のいま、ドイツに大量のイスラム系(主にシリア)難民が流れ込み、メルケル政権の理念を揺るがしかねない事態に陥っている。当時はまだ、誰も想像しなかったことかもしれない。
 大会の本命は連覇を狙うブラジルだった。ロナウド、ロナウジーニョ、カカーといった出色のタレントを擁し、1年前の前哨戦とも言うべきコンフェデレーションズカップを制していた。

 同じ大国でも強烈な逆風にさらされていたのがイタリアだ。大会前に「カルチョポリ」と呼ばれる一大スキャンダルが発覚。名門ユベントスのフロント陣が審判員の買収、脅迫に手を染め、八百長を仕組み、監督や選手たちにも疑惑の目が向けられた。

 大会まで1カ月を切った時点でGKのジャンルイジ・ブッフォンは二度も警察当局の事情聴取を受け、キャプテンのファビオ・カンナバーロも家宅捜査されている。開幕前にスイスで張ったキャンプでは、彼らユベントス勢に抗議のブーイングが渦巻いた。

 2年前までユベントスを率いていた指揮官のマルチェロ・リッピも、騒ぎの渦中にあった。疑惑が晴れ、正式に続投が認められたのは5月25日。開幕の2週間前である。そうした異例の事態の中、大会に臨むことになった。

2つのカテナチオ

 初戦は6月12日。相手はリッピが最も警戒していた、アフリカの強豪ガーナだった。

 だが、終わってみればスコアは2-0。リッピはガーナの死角を「センターバックの背後」と看破し、CKで先制した後、イアキンタが巧みに最終ラインの裏へ走り込み、トドメを刺した。

 敵の正体を丸裸にするベンチの分析力もさることながら、戦況に即したシフトチェンジの妙が際立った。4-3-1-2でスタートし、そこから4-4-2、4-2-3-1、4-3-3へと自在にシステムを変換している。

 当代随一の戦術家を代表監督に据える――。それは、腐敗体質が知れ渡った当時の協会幹部の数少ない「功績」だった。
 ユベントスを5度のリーグ制覇へ導いたリッピは、チャンピオンズカップでも優勝をもたらすなど卓抜した手腕を誇る、イタリアの切り札だった。前任者のジョバンニ・トラパットーニとは対照的な指導者と言っていい。

 イタリア協会は改革者アリゴ・サッキを登用し、1994年のアメリカ大会で準優勝に終わると、伝統回帰へ舵を切る。1998年フランス大会のチェーザレ・マルディーニ、2002年日韓大会のトラパットーニと伝統的な「カテナチオ」の担い手に命運を託し、ことごとく失敗してきた。

 リッピはサッキの系譜に連なる指導者だ。マンマークを基調とする旧来のカテナチオとは異なり、ゾーンによる激しいプレッシングを戦術の柱に据えていた。

 前から圧力をかけ、敵陣で奪取と速攻をヘビーローテーションさせる戦法は、言わば「現代版カテナチオ」だ。もっとも、プレスが空転すれば、迷わず籠城戦へ切り替える。決して伝統芸を手放さないところが、リッピのアズーリのしたたかさでもあった。

 アメリカとの第2戦こそ引き分けたが、チェコとの第3戦で再び2-0で快勝。複数のシステムを操りながら、CKで先制し、速攻をもって息の根を止めるシナリオは、初戦とまるで同じだった。
 結局、グループステージは2勝1分け。猛者がひしめく激戦区を首尾よく1位で通過し、ベスト16に駒を進めた。


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