上写真=明秀日立のゲームキャプテンを務める大山(写真◎金子悟)
■2019年12月31日 全国高校サッカー選手権1回戦(神奈川・ニッパツ三ツ沢球技場)
明秀日立 1-0 高知
得点者:(明)長谷川皓哉
背中に10番、左腕にキャプテンマーク
ニッパツ三ツ沢球技場に、明秀日立をけん引する闘将の声が響いた。10番を背負い、左腕にはキャプテンマークが巻かれている。1年時から3大会連続出場。最高学年として臨む今大会、初戦のピッチに立つ大山晟那は、貫禄十分だ。
「負けたら終わりの戦い。チームに勢いを与えようと、ファーストプレーでは自分が激しくスライディングに行きました。明秀としても3年連続出場は初めて。だから、本当に幸せ者だなと思うし、この経験をみんなに還元していきたい。最後の大会なので、1、2年生に対しても伝えることは伝えて、いろいろなことを気づかせる。それは常に意識しています。プレー面では自分が引っ張る。自分が冷静にならなければ、チームは焦ってしまう。声を出すこともそうだけど、自分が中学時代に経験したこと、どういう形であれ、雰囲気的に点を取られそうだなとか、感覚としてあるので、経験を活かしてチームに声をかけたりしています」
大山に率いられたチームは、1年生FW長谷川皓哉のゴールで高知を破り、初戦突破。「みんな1、2年生のうまさをリスペクトしている」と言うものの、「3年生が決められないのは情けないですよね(笑)。自分も(得点を)決める意識はあったけれど、なかなかゴール前まで行けなかったし、フリーキックも壁に当ててしまった。それは反省点です」と、勝利にも顔をしかめた。
小中学生の時は、常勝軍団・鹿島アントラーズの育成組織でプレーした。小学6年時は、鹿島ジュニアのキャプテンであり、背番号10。全日本少年サッカー大会決勝では、自らの右足で日本一の栄光をもたらすゴールを決めるなど、チームの大黒柱として優勝に貢献した。中学時代は鹿島ジュニアユースに所属。国内屈指の名門クラブで、順調にキャリアを積み重ねるはずだった。
しかし、高校入学を前に挫折を味わう――。鹿島ユースへの昇格が叶わなかった。
「鹿島ユースに上がれなくて、悔しい思いを持っています。(鹿島ジュニアで日本一になったことは)結構言われるけれど、やっぱり過去は過去。それから自分は天狗になって、落ちていった。(他の選手に)抜かされて、抜かされて……。僕は負けた人間なんです。正直、小学生のときのことを言われるのが嫌で……。過去の栄光は、もうありません」
鹿島アントラーズでのキャリアに、一度終止符を打たねばならなかった。受け入れ難い現実と向き合いながら、大山は明秀日立への進学を決意する。
「それでも、自分はプロになりたい。鹿島に戻りたい」
その思いを胸に、再びサッカーに打ち込んだ。