上写真=入団会見で望んだように、昌子は紫の似合う男になっていった(写真◎Getty Images)
いつも通りの源がいた(酒井宏樹)
昌子がトゥールーズに加入した直後からトゥールーズのフォーメーションは3バックから4バックへと徐々に移行し、1月から2月にかけて昌子のポジションも3バックの左のセンターバック(CB)や3バックの中央のCB、3バックの右CB、そして4バックの右CB、4バックの左CB、と頻繁に変わった。ディフェンスラインの顔ぶれもその都度、微妙に入れ替わったが、いずれのケースにおいても、必ず昌子が含まれる。監督が、どこに昌子を入れれば一番うまく機能するか、ベストの形を探しているかのようだった。
その事実だけを見ても、昌子獲得のために辛抱強く半年待ったというトゥールーズのアラン・カサノバ監督がいかに評価していたのかがわかる。
そして2月半ば、ついに昌子の定位置が、4バックの右CBに決まり、相棒が身長195センチのクリストファー・ジュリアンに定まった。以降、試合を重ねるごとに二人は以心伝心のコンビネーションをはぐくんでいく。空中戦に強い優しい巨人と、小回りが利き、予測力に秀でた昌子のCBペアは、やがて昌子本人が「いいコンビになったと自分でも思う」と話すまでになった。
リーグアン第37節に、トゥールーズと対戦したマルセイユの酒井宏樹は「僕がJリーグからハノーファーに行った1年目のときは全然ダメだったので、それと比べたらすごく頼もしくやっている。うらやましくも感じた」と昌子のプレーぶりについて語った。「今日も、いつも通りの源がいた。ビビることもなく、迷っている感じもなく、仲間からのボールもすごく集まってきていた。それは信頼の証拠だと思うし、源がこれだけトゥールーズで求められているのを見て、自分のことのようにうれしかった」。
最終節のあとで、昌子は半年間を振り返り、「フランス・サッカーはやはり日本とは全然違うし、フィジカルやスピードがすごい。今日も190センチ近いセンターフォワードがいたが、出始めの頃と今日の試合を比べたら、ああ、成長しているな、と、自分でも感じる」と確かな手ごたえを口にした。それでも、単身渡仏しての新天地での挑戦は、「やはりしんどかった」とも言う。
「家に帰っても話し相手がいないし、普段だったら子どもや奥さんがいてくれるけど、一人でご飯を食べるだけ。特に負けが多かったので、負けたときに一人というのはいろいろ考えてしまうところがあった。でも外から見て、すんなり順応しているように見えた、と言ってもらえるなら、それが一番の褒め言葉かなと思う」
順応のカギは積極的なアプローチ
2月半ばまでホテル住いで、家族に会えない寂しさ、生活面の不都合があったことに加え、免許証の書き換えなども遅々として進まず。注文したものが期日通りに来ないなど、ヨーロッパにありがちな『いい加減さの洗礼』も受けた。最初の1カ月半は、ピッチ外でのストレスも大きかった。「なんでやねん!」と何度叫ぼうが、フランスでは遅れるのが当たり前。そういう文化的なギャップの免疫がついていない上に、常勝軍団の鹿島から来た昌子にとって、なかなか勝てないという状況は、「メンタル的にしんどい」ものだった。
しかしながら、そのような状況下でも、昌子は異例の早さでチームに溶け込んでいく。そのカギは、日本人の代名詞である『シャイ』とは逆の行動をとった昌子の超積極的なアプローチにあった。おそらく意識的に、自分からチームメイトたちの中に飛び込んでいったのだ。
昌子はロッカールームに馴染むため、半日も無駄にしなかった。チームに紹介された日、黒人選手(おそらくグラデル)に一緒に踊ろうとけしかけられた昌子は、臆することなくダンスに挑戦。フランス語ができなくても、英語と身振り手振りを織り交ぜて、自ら積極的にコミュニケーションをとることに努めた。 トゥールーズは、昌子のために、長くリヨン、パリ・サンジェルマンの女子部門でトレーナーを務めてきた太田徹氏を、通訳兼コーチとして雇用したのだが、その太田氏が、入団5日目、「彼は自分からすごく仲間にグイグイ行くんで、半年もしたら僕はお払い箱ですよ(笑)」と語っていたほどだ。
少しでも早くチームメイトになじもうとする姿勢は、プレー面でも同じだった。初めての試合となったニーム戦は、攻め込まれる頻度が非常に高い、厳しい試合となったが、「全然緊張せず、鹿島のときと変わらない気持ちで試合に入れた」という昌子は、仲間と声を掛け合いながら苦しい時間を切り抜け、デビュー戦を1-0の勝利で終わらせた。特に試合終盤、昌子は盛んに叫んでいたのだが、何を言っていたのかと聞くと、「ときどき日本語で『集中!』と」。チームの以前の試合をビデオで観た際に、最後に集中力が切れて失点するケースが多かったことに気づき、「自分がそこに入って締めることができれば」と考えていたのだという。
「言葉がわからんから声を出さない、というのは違うと思う。何か言うだけでもみんなが気づいて、集中力が高まると思うし、失点ゼロに抑えられたのは、みんなが最後まで集中力を切らさなかった結果」と、最初の満足感を口にした。そして、迅速に仲間に受け入れられた効果は、ピッチ上にも表れてくる。1月の末には「味方からの信頼を感じるようになった」と話した。
「1試合目は、みんな半信半疑な感じがあったけれど、今日はパスをくれたり、安心してマークを預けたりしてくれた。声も、なんか言っとけばいい、の精神で出すようにしている」。
最初は日本語だった掛け声も、シーズン終盤にはフランス語となり、トゥールーズの選手たちは、いまやそろって「日本人って、すごくイイヤツなんだな」と話す。昌子は日本人選手全般の印象をも良くしているようだ。
ベルギー戦の悔しさ以上のものは一生ないと思う
デビュー戦を終えたあと、初めて対峙した身体能力が高いことで知られるフランスのFW陣について、「予想通りだった。やはりゴリゴリに来るなと。期待していた通りで、これをずっとやっていたら、そら強くなるなと思った」と実にうれしそうに話していた。実際その後も、自分を苦しめる強いFWに遭遇するたび、昌子はその苦労を楽しんでいるように映った。「マゾじゃないけど」と前置きした上で、昌子の答えは明快だった。「そういうのを体験するために、海外に来た」からだ。
「(ロシア・)ワールドカップの経験は、僕の中で非常に大きい。サッカー人生の中で一番悔しい試合は、あのベルギー戦だった。たぶん、あの悔しさを超えるものは一生ないんじゃないかと思う」
昌子はまた、ロシアW杯で海外組DFたちとともにプレーし、そのレベルの高さにも衝撃を受けたと言った。
「ワールドカップで負けたとき、僕が足を引っ張ったんじゃないか、とすごく自分を責めた。ディフェンスの中で僕が一番年下で、唯一の国内組で、みんなが僕に気をつかって、あいつをフォローしてやろうとか思い過ぎて、自分のプレーができなかった人がいたんじゃないかと。こうなったら僕も外に行って、同じレベルまで頑張って登って、誰も僕の心配をせずにプレーできれば、そしてみんなが100パーセントの力を出せれば、もっと上に行けるんじゃないかと思った」
海外移籍の理由の一つをこう説明した昌子は、「センターバックは、ひとつのプレーですごくシビアに評価されるポジション。だからこそDFが海外に出る意味と言うのは大きいんじゃないかと思う」と指摘する。
「あのワールドカップは、日本が世界に勝つには、センターバックなのかな、と思った大会でもあった。以前は、海外でやっているCBは吉田麻也くんだけだったけど、今は冨安(健洋)がいて、僕が来て、植田(直通)、マンチェスター・シティに行って今、オランダでプレーする板倉(滉)くん(フローニンヘン)、中山雄太くん(PEズヴォレ)と、少しずつ海外に出る若いCBが出てきた」
現在の状況は非常に望ましい形だという。そういう思いをもってフランスに渡り、数カ月を過ごした昌子は、「いろんなものが見えるようになり、いろんな感覚をつかめるようになった」とも言う。
「身体能力の高いアフリカ系の選手に対しても、やべえなコイツら、という衝撃はもうなくなった」。最初は競り合いでボールに来る代わりに、自分の体を押しのけようとしてくる相手に衝撃を受けたという。「でもだからこそ、こういうところでやっていたら強くなると思った。相手にぶつかられて踏ん張ったときに、負けずに自分が行けたなら、それは自分が強くなっている証拠だから」。
むろん、順風満帆だったわけではない。強豪チームになす術なく敗れたこともある。「天国から地獄に落とされた」との発言が出たリヨン戦など、厳しい試合はいくつかもあった。それでも、パリ・サンジェルマン戦では1失点したものの、キリアン・エムバペ封じに奮闘し、「エムバペともう少しやりたかった。90分は短いと感じた」と充実感も手にしていた。
33節、2位リールとの対戦ではリーグ屈指の3トップのアタックを完封することに成功。「上位のクラブの選手はスピードだけじゃなく、3つ4つの武器を持っている。そういう相手と戦うのは面白い!」という発言も出た。
ちなみにマルセイユの酒井宏樹は、トゥールーズと対戦したあと、「すごく守備に負担のかかっているクラブだから、源にはとてもいい。相当に成長できると思う」と話していた。
「僕ももうフランス3年目だけど、(相手に)抜かれることは頻繁にある。ただ、(スピードのあるフランスの選手に対する)間合いやタイミングは、数をこなさないと慣れないから、DFにとって攻め込まれるというのはときには大事なこと。僕のハノーファー、また吉田麻也くんも、昔フェンロでやっていたけど、ああいう守るチームでの経験は、のちに強いチームに行ったときに生きると思うし、貴重な経験となると思う」(酒井)
徐々に見せ始めた自分の色
フランスに来た当初から昌子は予測に優れたDFとして認められていたが、守備面での順応に取り組んだ1カ月を経て、ビルドアップという自身の特長も発揮し始めた。
「鹿島のときは僕が起点となり、バンバン、ボールを出して、サイドチェンジをしたりしていた。僕自身は自信があるので、そういうのをどんどん入れていきたいけど、このチームではあまりそういうものが求められていないのかもしれない。パスというのは受け手側の意図が大事で、僕が出そうとしても受け手の準備ができていないことが多いので」
2月にこう言っていた昌子だが、シーズンが進むにつれ、状況が少しずつ変わっていく。昌子のビルドアップのパスのうまさ、精度の高さに気付き始めた仲間たちが、次第に昌子にボールを預け、呼び込むようになっていったのだ。
実際、トゥールーズのカサノバ監督は、昌子を獲りたいと思った最たる理由は、そのビルドアップ能力だとさえ言っている。
「彼は、後ろからビルドアップする際の配球能力に優れた、非常に才能ある選手だ。だからわれわれは彼を欲したのだ」
昌子が前述の発言をしたのと同じ日に、カサノバ監督はこう言っていた。
「ただ彼はまず、チームへの順応やわれわれのサッカーの把握、その他さまざまなことへの対応に力を割かねばならない。フランスでは、どのクラブにも身体能力の高い選手がいて、強烈なプレッシャーを掛けてくる。それが、彼が一番違いを感じている部分だろうし、いま彼はその点に順応しようと取り組んでいる。ここまでの成長ぶりにはとても満足しているよ」
一歩一歩段階を踏み、チームが徐々に昌子の能力を知り、順応していったように、昌子も次第にフランスのプレーに慣れていったのだ。
「一対一の局面で、日本でやっていたのと同じ対応ではダメだと分かった。自分で言うのもなんだけど、日本では一対一で抜かれたことはほとんどなかった。でもこちらには、違う間合い、距離感、やり方があって、そういうのが少しずつわかってきた。ヨーイドンで直線で走ったら絶対に追いつけない相手でも、走るルートを工夫したり、端から少し距離を取ったりすれば、なんとかなる。そういうさまざまな感覚がつかめるようになってきた」
加入当初、「鹿島にいたときには」という言い出しが口癖だった昌子が、ある時点でぱったりとその言葉を口にしなくなった。それは自分の中で比較することが終わり、次の段階に移ったことを表していた。
勝利のメンタリティーをもたらせるか
「半年だけど人生かけてやっていた」という今年1月からのプレーを振り返った昌子は、貴重だった助走期間を経て、次は、いよいよ初めてのフルシーズンに臨む。
「いろんなことにトライした半年だったけど、もっともっと強くなりたい。来シーズンは、単に慣れたとかではなく、チャレンジする気持ちを忘れずにやっていきたい」
さらに心に誓っているのが、「もう残留争いはしたくない」ということだ。
トゥールーズは、基本的に1部残留を第一の目標とし、その上でできる限り上位を目指すというスタンスのクラブだ。5位に終わってファンが激怒し、監督を交代した酒井宏樹が所属するマルセイユと比べると、環境的にはのどかであり、周囲からのプレッシャーも低い。今季は長い期間、15位で過ごしたあと、最終節から一つ前の37節でようやく残留を確定させ、最終的には16位でシーズンを終えた。途中、引き分けで勝ち点をしぶとく稼ぎながらホフク前進して、「この勝ち点1が、ボディブローみたいにじりじり効いてくるかも」という昌子の言葉通りになった。ただ、その過程は、鹿島時代に勝ち慣れていた昌子とって、精神衛生上良くないものだった。
「降格争いは、優勝争いよりメンタル的にずっとしんどい」と、新たな発見を口にしていた昌子だが、勝てないことに加え、負けても仕方ないと考えるチームの精神が、フラストレーションを増幅させた。それは「このチームのポテンシャルを考えたら、絶対に真ん中くらいにはいけるはず」と信じているからだ。
残留が決まったあとの練習での、仲間の気の緩み具合には驚きを隠せなかったという。「正直に言って足りない。残留が決まったあとの変わりようがすごかった。だから自分だけはしっかりやろうと思っていたけれど、来季は、僕だけではなくチームの全員が練習からきっちりやっていかなければならない」と、昌子は今、チームにも発破をかける。
「どんな試合であろうと、サッカーをやるなら勝ちたいし、勝利の喜びを味わいたい。それに、周りがそういう態度を取ると、やっぱりイラつく」と、昌子は今、チームに欠けている勝利のメンタリティーを、チームにもたらしたいと思っている。
戦うリーグが変わろうと、チームを変えようと、キャプテン気質も勝利のメンタリティも健在だ。入団会見で「早く紫(トゥールーズのチームカラー)が似合う男になりたい」と言っていた昌子は、次のステップとして、チームに自分の色を加えていく。新しい環境に順応するため奮闘した6カ月を経て、チームを牽引する存在になれるかもしれない。そんな予感が、ある。
文◎木村かや子(フランス在住) 写真◎Getty Images