2023年、連覇を目指した横浜F・マリノスは、ヴィッセル神戸と激しく優勝を争ったものの、あと一歩届かず。悔しい2位に終わった。そんな難しいシーズンに、チームにカツをいれ、戦う集団へと導いたのが實藤友紀と水沼宏太のベテランコンビだ。覇権奪回に挑む2024年シーズンの始動直前。小学生時代から縁があるという1歳違いの年長者に、F・マリノスで共に戦った4年間と、23年シーズンについて振り返ってもらった。(前後編全2回の第1回)

上写真=新シーズンの覇権奪回を誓った實藤友紀&水沼宏太(写真◎齋藤豊)

取材・文◎大林洋平(スポーツライター)

實藤友紀&水沼宏太による年長者対談・後編はコチラから!

最初の出会いは小学生のとき

――本日は横浜FMの“年長者対談”ということでお願いします。1つ違いで、とても仲の良いお2人ですが、最初の出会いはいつだったのでしょうか。

實藤 実は小学生のときに会っています(笑)。

水沼 しゃべってはないけど、全国大会で会ってはいます。それから時間が空いて、U-21日本代表で久々に会って、僕は初めましてだと思っていたのですが、サネが会ったことあると……。

實藤 小学生時代の全国大会でチーム同士のおみやげ交換会があって、各県代表をシャッフルして、たまたま徳島県と神奈川県の代表チームがおみやげを交換しました。

水沼 僕はあまり覚えてなかったのですが、徳島のチームとおみやげを交換したのだけは覚えていて、そこにサネがいたらしいです(笑)。

實藤 僕は相手に水沼貴史さんの息子がいるのは聞いていたので、覚えていました。それが、僕が12歳のときです。

水沼 僕は11歳ですね。20年以上前の話です。それから10年経って、アジア大会で一緒に優勝しました。先日、アジア大会で(吉田)真那斗たち(横浜FM2024年加入予定)が負けたと思うのですが、日本が一度だけ優勝しているのが僕たちの世代です。

實藤 しかもそのアジア大会決勝で僕がアシストして、宏太がゴールを決めて1-0で勝ちました。

水沼 僕が右SBでサネが右SHで組んでいました。

――すごい縁ですね。

水沼 プロに入ってからも、(川崎)フロンターレと鳥栖で対戦したこともありました。そして、20年からF・マリノスで一緒になりました。

實藤 移籍が決まって、宏太に速攻で連絡しました(笑)。当時の選手では宏太とテル(仲川輝人/現FC東京)しか知らなくて、まぁ、テルはあんな感じでちょっと頼りにならないんで、宏太を頼りました(笑)。

――横浜FMに加入するまでに連絡は取っていたのでしょうか。

實藤 ほぼ取っていませんね。鳥栖と川崎Fの試合後に食事に行ったことはありましたが……。

水沼 そこからはあまり会ってないし、サネが福岡に行ってからも接点はなかったよね。

實藤 僕がF・マリノスに行くのが決まって久々に連絡して、「なんでも聞いて!」という感じだったので、マジ助かりましたね。

水沼 ちょうどコロナ禍でリーグが中断する前にサネが来たので、ギリギリな感じでした。ただ、プライベートではあまり会っていません。今はクラブハウスでもロッカーが隣だし、(飯倉)大樹くんや(宮市)亮とか30歳以上が近くにいるので、ワイワイやっていますね。

――では、本題に入らせてください。2022年に続いて、2023年シーズンも終盤まで優勝争いがもつれました。22年は追いかけられる立場、23年は追う立場でした。そこに違いはありますか。

水沼 追う立場は自分たち次第ではないので、そこは違います。(優勝した)神戸が2連勝すれば僕たちは優勝できません。追っている中で逆転できれば、22年以上の達成感はあると思っていました。プレッシャーは追いかけられるよりはありませんでしたね。

實藤 僕も宏太と一緒で追い掛けるほうが、プレッシャーがなく、楽だとは思います。追われている気持ちも分かるので、神戸の苦しい気持ちも分かりました。そういう意味でも勝つことでプレッシャーを与えられるので、そこが違いだったと思います。

――さすが大人のお2人です。その神戸との試合では、4月に敵地で対戦した第9節は2点差をひっくり返して3-2で逆転勝ちし、第29節のホーム戦は0-2で敗れました。2試合を戦った印象はいかがでしたか。

實藤 神戸は強かったよね。

水沼 僕たちがホームで負けた試合の前、神戸の試合を見て目の色を変えた印象を受けました。セカンドボールへの執念やプレスバックの勢いを含め、闘争心がこれまでと違いました。チームのためにという矢印を感じ、「強い」という印象を受けました。

實藤 (気持ち、考えが)同じ矢印の選手が使われているチームはやっぱり強いです。23年の神戸は個の能力以上に、チーム力が一つ抜けている印象でした。

水沼 やり方を徹底していて、波がなかったよね。それをどう捉えるかは別ですが、キーマンのサコ(大迫勇也)をみんなでどう生かすかが徹底されていたと思います。

――第31節の浦和対神戸で最後の大迫勇也選手の決勝点は、オフサイドだったのではないか、との議論もありました。メンタル的な影響はありましたか。

實藤 見たときは「おいっ!」という感じでしたが、オフサイドかどうかは分かりませんでした。あれもサッカーなので。

水沼 あの判定がシーズン終盤にくるのか、序盤にくるのかで、受け止めも変わってきますよね。「おいっ!」という気持ちもありますが、そこは審判をリスペクトしてやるしかないとも思います。映像がなかったのでは仕方ありません。チーム内でもそこまで話題になってもなかったです。

實藤 あまり話に出ていなかったよね。むしろ、自分たち次第という感じだったので。

水沼 気にはなりますが、自分たちが勝つことのほうが大事ですから。

實藤 1試合1試合、目の前の試合に勝つことだけに集中していました。あまり先のことを考える余裕はありませんでしたね。

水沼 23年はその余裕がなかった。正直、自分たちが結構、大きな波があったシーズンだったから。だから、シーズン終盤になって話していたのは、負けていてもこの位置にいれるのは本当にありがたいことなので、このチャンスをつかみ取ろうという話は出ていました。

實藤 (第29節に神戸との天王山で敗れ)、10月のルヴァンカップカップ準決勝で浦和に負けて、(第30節・)札幌戦の前に選手で集まって話し合いをしました。そこで矢印が合った印象です。そして、チームとして何をやるべきかを再確認して臨んだ試合が札幌戦でした。「これぐらいやれば点も取れるし、勝てるね」という感覚がつかめました。

――そのときの選手ミーティングではどのような話が出たのでしょうか。

水沼 (主将の)キー坊(喜田拓也)を中心に選手たちで話そうとなって、何人かが喋っていました。先ほども言いましたが、(残り5試合で)リーグ戦で2位にいられるのはなかなかないチャンスだということですね。何を変えるかというより、一気に変えることはできないので、普段の練習から一つの練習にどれだけ強い想いを持って準備をするのか、という基本的な部分を確認した感じです。その直後の札幌戦で結果も出たので、チームがより一丸となった感じはありました。

實藤 結果がみんなの自信につながって、「これだな」という部分がハッキリしましたね。いいタイミングで意見を合わせることができました。

――では、ターニングポイントはその札幌戦でしょうか。

實藤 シーズン終盤ではそうかもしれませんが、どうですかね。

水沼 連敗もしたし、なんか、すべての試合が必死でしたね。

實藤 ケガ人も出たしね。

水沼 それこそ(10月に)多くのメンバーがケガでいなくなったとき、とりあえずみんな自分にできることをやるしかないし、その瞬間を全うするしかない感じでしたね。

――外から見ていると、少数精鋭で臨んだ札幌戦かなとは感じています。アタッキングフットボールに欠かせないハイラインが復活して横浜FMらしさを取り戻したと思います。

水沼 確かにラインアップが速くなり、高いラインを保つようになって、前線からボールにプレッシャーにいきやすくなりました。前のブラジル人がプレスのスイッチを入れる思考になった感じです。今年に関しては正直、そこが生命線でした。彼らがスイッチを入れてくれることでチームが機能したと思います。

實藤 前がプレスに行くと、後ろも高いラインを保たないと、彼らが戻る距離も長くなってしまいます。僕たちDF陣も下がることで、余計に走る距離が増えます。そうであれば、先に上げようと、キー坊と話しをして札幌戦に臨みました。

水沼 それまではそこが曖昧でした。後ろも上げるのか上げないのか、前もプレスに行くのか、行かないのかが分かりませんでした。結局、間延びして中盤が空いて、セカンドボールを拾えない場面がすごく多かった。自分たちも距離感が悪く、つなげないから前に蹴るという、ギクシャクした試合が多かったです。今思えば、すごくもったいない時期がありましたね。

――横浜FMの試合は勝っても負けても、面白いのがセールスポイントです。正直、昨年の夏ごろは横浜FMが勝っても、内容は面白くなかった印象もあります。

水沼 客観的に観られている方の意見は大事です。観ている方が楽しければ、プレーしている自分たちも楽しいです。正直、「これでいいのかな」という選手たちの戸惑いがあった時期かもしれません。だからこそ、「俺らはこれでしょ」と割り切れました。

實藤 確かに「やろうよ」という感じだったよね。

(第2回に続く)


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