パリ・サンジェルマン(PSG)がジャパンツアーを開催する。17日に来日し、20日に川崎フロンターレ、23日に浦和レッズ、そして25日にガンバ大阪とそれぞれ対戦。さらに来日中には練習公開やサッカークリニックの開催などさまざまなイベントを行なう予定だ。クラブOBであり、かつて日本でプレーしたパトリック・エムボマ氏が現在のPSGについて、そして日本での思い出について語った。

上写真=7月のジャパンツアー開催ににさきがけて来日していたクラブOBのエムボマ氏(写真◎サッカーマガジン)

イカがノドを通らなかったんだ

ーーいつ以来の来日でしょう。

エムボマ コロナウイルスの影響もあるけれど、それ以前もしばらく来ていなかったので、ずいぶんと久しぶりの来日になるね。おそらく5年ぶりかな。こうしてPSGの仕事で日本に来られて、7月にも日本で仕事できる。その意味で、本当にPSGには感謝しているよ。

ーーエムボマさんがPSGに在籍されていた当時に比べると、日本でPSG人気がとても上がったと感じます。クラブは2011年から様々なプロジェクトを進めていますが、フランスやヨーロッパでも人気は広がっているのでしょうか。

エムボマ それは感じるね。プロジェクトの中で、まずPSGは競技面でとても成長している。この52年の歴史の中でフランスで一番、タイトルを獲っているクラブです。そのことはヨーロッパ中に知れ渡っているし、強豪クラブと思われているでしょう。ホームがあるのは、パリです。文化や芸術などもそうだけど、スポーツも中心となる場所で、実際に世界中から素晴らしい選手が集まってくる。今のチームを見れば、分かるよね?

ーーええ。誰もが認める強豪クラブのPSGがさらに上のレベルに達するには、やはりUEFAチャンピオンズリーグ(UCL)に優勝することが重要でしょうか。

エムボマ PSGにとって、それはとても大事なこと。まだまだ成長の過程にあるけれど、これからも、もっと成長していけると確信している。その中でUCL優勝は実現しなければいけないミッションだ。PSGはもう、常に決勝に進めばいいというクラブではない。チームとしてさらに上にいくために優勝することが必要だと思う。そのための準備は整っているし、優勝はすぐそこまで来ていると感じるね。

ーーご自身がプレーしていたときのフランスリーグやヨーロッパのサッカーと、今現在のサッカーで何か変わったと感じるものはありますか。

エムボマ 本質的に、かなり違うと思う。例えば、当時はSNSが存在しなかった。でも今はスマートフォンを持っていれば、PSGのフォロワーがどのくらいいるか瞬時にわかるよね。そういう世界にわれわれは生きているわけで、当然、サッカーにもその影響はおよび、クラブの規模や在り方も変わってきたと言えると思う。スタジアムに来るファンの女性比率もどんどん上がっているし、環境面が大きく変化したと感じるよ。

ーープレー面についてはどうですか。

エムボマ PSGは今や本当にビッグクラブになって、今では偉大な監督、偉大な選手がいる。だから自ずと良い結果を出すようになっている。他チームに対して自分たちが「こんなにすごいんだぞ」って見せつけながら戦える。そういう立場になっていると思う。これはすごく大きなことで、国内では、最近は国外でもだけど、強者として戦うことができる。競技面のレベルどうこうより、そういうチームとしての立ち位置が、私の現役時代と比べて大きく変わったと思うね。

ーーそんなタイミングで今回、日本ツアーが実現しました。

エムボマ ジャパンツアーは、新シーズンに向けての大事な時期に行なわれる。調整と仕上げの時期だ。選手の誰もがチームのベストメンバーに入りたいと思ってるタイミングだから、そういう意味でチーム内の競争が見られると思う。日本で3試合を行なうけれど、日本の夏はとても暑い。とくに私も住んでいた大阪は、きっと湿度も高いだろうね。フランスはそこまで暑くないので、この暑い場所でしっかりトレーニングして、いい調整ができればと思っているよ。

ーー日本でプレーしていた時代のことについても少し聞かせてください。何か印象深い思い出を一つ。

エムボマ ガンバ大阪でプレーしていた時代の話でもいいかな。ピッチ外の話をしても?

ーーお願いします。

エムボマ あるときツネ(宮本恒靖)から一緒にお寿司を食べに行こうと誘われたんだ。もう一人、あの大きな船越(優蔵)とね。最初はゆっくり食事はスタートしたんだよ。でもだんだんヒートアップすることなって。

ーーどういうことでしょう。

エムボマ 僕と船越で、どちらがお寿司を多く食べられるか競争になったんだ(笑)。どうなったと思う?

ーー勝った…?

エムボマ 最初は良かったさ。18皿、20皿って僕もどんどん平らげていった。でも突然、止まったんだよ。あれは21皿目だった。忘れもしない、イカの寿司さ。イカが僕のノドを通らなかったんだよ! だけど船越はどんどんいった。22皿、つまり44貫もペロリと食べたんだよ。完敗だったね(笑)。とても厳しい挑戦だったんだ。あんなに一生懸命食べたのに勝てなかった。ただ今となっては、あの敗戦も、ノドを通らなかったイカも良い思い出だ(笑)。とにかくサッカー以外のところでも日本での生活は最高だったよ。

ーーピッチ内でも、良い思い出が多いのでは?

エムボマ クラブチームでのプレーも良い思い出がたくさんあるけれど、忘れられないのは1997年の夏のことだ。オールスターゲームに出場して、僕は結構いいプレーをしたんだよ。

ーー覚えています。

エムボマ スター選手がたくさん集まったんだけれど、その中でMVPに選んでもらったんだ。本当にうれしくてね。大きな車ももらったし、最高だった。その年はJリーグのベストイレブンにも選ばれたし、得点王にもなった。キャリアの中でも最高の時間を過ごしたよ。

ーー今年30年目を迎えたJリーグの歴代ベストゴールに輝くシュートが生まれたのも、その1997年でした。開幕戦、しかもあなたにとってのJリーグデビュー戦でした。

エムボマ もちろん覚えているさ。あの湘南戦のことは忘れないよ。そしてあのゴールが今でもファンの心に焼き付いていることを本当にうれしく思う。Jリーグの歴史の一部になれているのなら誇りだよ。私のキャリアの中でも最高のゴールの一つだったし、とくに最初に決めたゴールでもあったから、その後、日本で素晴らしい物語を紡いでいくことができたのだと思う。

ーー最後に日本のサポーターに、ひと言もらえますか。

エムボマ PSGと一緒に日本に行き、皆さんに会えることを楽しみにしていると伝えたい。PSGの試合、選手たちのプレーをぜひ楽しみに。そして皆様に分かってほしいのは、私がこの日本という国に対し、特別な愛情を思っているということ。日本という国に、日本のサポーターの皆さんが信頼を寄せてくれたことに、心からお礼を言いたい。今回はPSGで日本に戻るけれど、私の人生において、これから先も日本でたくさん仕事ができるように望んでいるんだ。これは、私の心からの気持ちだ。

取材◎佐藤 景

■パリ・サンジェルマン、ジャパンツアー
 来日期間中には公開トレーニングセッションのほか、ファンとの交流、日本文化の発見機会なども設けており、来シーズンのアウェーユニフォームも発表する。詳細はPSG日本ツアー公式HP:https://psg-japan-tour.com/

パトリック・エムボマ/1970年11月15日 生まれ、カメルーン出身。2歳の時にフランスに移住し、スタッドドゥレストでキャリアをスタート。1990年にPSGに移籍し、その後もフランス国内でレンタル移籍を重ねる。97年にガンバ大阪に加わり、ストライカーとして大ブレイク。得点王やベスト11にも輝いた。翌98年にイタリアのカリアリ、パルマ、イングランドのサンダーランドなどでプレーし、03年に東京Vで日本復帰。04年には神戸でプレーした。カメルーン代表として98年、02年のW杯に出場。00年のシドニー五輪ではOA枠で出場し、金メダル獲得に貢献した。


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