連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、1986年に世界を制したアルゼンチン代表だ。史上に残る左利きの天才が、持てる才能を存分に発揮し、頂点に駆け上がった。

7人で守り、3人で攻める

画像: マラドーナに全幅の信頼を寄せ、その力を引き出したビラルド監督(左)(写真◎Getty Images)

マラドーナに全幅の信頼を寄せ、その力を引き出したビラルド監督(左)(写真◎Getty Images)

 ビラルドが選択したシステムは実に手堅いものだった。現代風に言えば、3-4-2-1だ。もっとも、ゾーンの3バックではない。2人のストッパーの背後にリベロを余らせている。

 指揮官は4年後のイタリア大会で一大トレンドになる3バック・システムを先取りした格好だ。もっとも、実体は5バックに近い。ビラルドの狙いは、あくまでも失点回避にあった。敵の2トップをがっちり捕まえ、両サイドにもしっかりフタをしている。

 5バックの手前には3人のMFがいた。中央がバチスタで、右にブルチャガ、左がエンリケだ。ただし、その実はエンリケがバチスタを支援する守備要員であり、ブルチャガは攻撃要員だった。

 バチスタとエンリケの中盤ペアが守備に徹し、5バックと堅固なディフェンス組織を支えている。逆に攻撃は前線のトライアングルに委ねられていた。

 3人で攻め、7人で守る。

 完全な分業制が敷かれていた。ディフェンシブとの批判もあったが、攻撃面で足を引っ張っていたわけではない。ゴールを奪うにはマラドーナにボールを集めるだけで済んだからだ。

「近くに味方がいては困る。むしろ、私から離れることこそ、最高のサポートになる」

 そう語ったのはオランダの伝説クライフだ。ドリブルするために必要なスペースを味方に消されてはたまらない――と。

 マラドーナも同じである。味方が近づいてくれば、漏れなく相手もついてくる。これでは、肝心のスペースを失いかねない。

 その意味で「3人で攻める」というシステムは、空前のドリブルワークを引き出す上ではむしろ、都合がいい。パスの選択肢は2つ(バルダーノとブルチャガ)あれば、それで十分だった。攻撃がわずか3人で成立するなら、それ以外の7人を守備に回らせた方が失点のリスクも減る。こうしてビラルドは攻守のバランスに秀でた好チームを手に入れることになった。

 本大会の初戦は6月2日。アジア最終予選で日本との「決戦」を制し、本大会へ駒を進めた韓国を3-1で苦もなく退ける。3つのゴールは、いずれもマラドーナのアシストから生まれていた。

伝説の『5人抜きゴール』

 マラドーナを軸に結束したアルゼンチンは、グループステージを1位で突破する。

 ポイントは前回王者のイタリアと対峙した第2戦だ。開始7分にPKを与えて失点し、カテナチオの罠にはまりかける。この窮地を救ったのが、マラドーナだった。バルダーノの浮き球のパスを追って最終ラインの裏へ走り、GKの虚を突くタイミングで同点ゴールを流し込んだ。

 決勝トーナメント1回戦では、ラプラタ河を挟んだ仇敵ウルグアイに1-0の僅差勝ち。そして、伝説の準々決勝がやってくる。

 相手はサッカーの母国イングランドだ。スコアは2-1。どちらもマラドーナのゴールだった。いや、ヘッドを装った1点目は自ら「神の手」とうそぶくマラドーナの左手だ。この一件に思わず眉をひそめた良識派も、2点目には脱帽の体だった。

 2人の寄せ手を巧みにかわして前を向いたときは、まだ自陣の側にいた。そこから鋭く敵陣に切り込み、正面から襲いかかる2人の刺客を続けざまに沈めると、敵のゴールはすぐそこだった。

 そして、たまらず飛び出してきた守護神を地面に這わせ、無人のゴールに流し込む。左足にボールを抱えたまま、60メートル余りを駆け抜ける空前の独り旅。伝説の『5人抜きゴール』は、こうして生まれた。

 ほんの少し前まで悪魔に見えた男が一転、神の化身へ――。あるいはマラドーナの姿をした本物の神だったか。

 準決勝で伏兵ベルギーを葬った2つのゴールもマラドーナによるものだった。無論、ペテン師のそれではない。手も足も出なかったベルギーの守護神パフに言わせれば、それこそ「宇宙人」の仕業でしかなかった。

 神か、宇宙人か。どちらであれ「マラドーナとその仲間たち」がファイナルの舞台に立つことだけが確かだった。

 6月29日、アステカ・スタジアム。相手は準決勝で本命フランスを蹴落とした西ドイツだ。かつて『皇帝』と呼ばれたベッケンバウアー監督は、この大一番でマラドーナに刺客を差し向ける。

 マテウスをマンツーマンで張り付かせたのだ。しかし『皇帝』の繰り出した奥の手は、あっけなく空転することになった。


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