成熟した「定義と補完」
8年に及ぶ長期政権も異例だったが、主力の顔ぶれがほぼ同じだったのも珍しい。
高密度の連動と経験値の高さが老かいなゲーム運びを可能にしていた反面、主力の高齢化に伴い、アグレッシブな戦法の実践が難しくなっていく。実際、CLで2度目の優勝を飾った頃には、すでにカカー経由の速攻が命綱のチームになっていた。
両サイドバックがベテランの域に達すると、オープン攻撃の迫力が薄れ、有効な攻め手になりえなかった。さらに守りに回っても、スピードとスタミナの両面で大きな問題を抱えるようになる。
そこでポゼッションを時間稼ぎのツールに使い、スローテンポの戦いへ引きずり込んでいく。そうしておいて一瞬の隙を突く奇襲へ転じるのだから、たちが悪い。
そもそもボールを持つことへのこだわりがないイタリア勢の狡猾さとは違う。むしろ「南米的」なシロモノだ。そんな芸当ができたのも、やはりピルロという偉才に恵まれたからだろう。
アンチェロッティの英断がなければ、ピルロのみならず、ミランやイタリア代表の歴史も、かなり違ったものになっていたはずだ。「レジスタ=ピルロ」とは、まさしくコロンブスの卵だった。
ポゼッションもカウンターも、プレスもブロックも、しょせんは勝つための道具にすぎない。何かに特化するよりも、それらを状況に応じて上手に使いこなす方が、賢いやり方のはずだ。
だが、理屈はそうでも、おいそれとはいかない。第一、手持ちの駒には向き・不向きがある。しかも、いつ、どこで戦い方を変えるか、その判断が「全会一致」でなければ、チームは機能しない。各々に機を逃さぬ高度な戦術眼が求められる。成熟した「大人のイレブン」が必要になるわけだ。その意味で、アンチェロッティの築いた最強ミランは実にアダルトなチームだった。
ああ来れば、こうやる――。敵の打つ手に応じて、最善の一手を準備しておく。バックドア、オプション、リスクヘッジ。言い方はいろいろあるが、とにかく名将に抜かりはなかった。
アルゼンチンのかつての名将であるセサル・ルイス・メノッティは、チームづくりの重要事項について「定義と補完」と看破した。1つの型を定めるのは当然としても、それだけでは不完全。同時にそれを補うもの(保険)がなければならないというわけだ。
派手さもなければ、革新的でもない。しかし、アンチェロッティのミランは、紛れもなく「定義と補完」の傑作だった。
著者プロフィール◎ほうじょう・さとし/1968年生まれ。Jリーグが始まった93年にサッカーマガジン編集部入り。日韓W杯時の日本代表担当で、2004年にワールドサッカーマガジン編集長、08年から週刊サッカーマガジン編集長となる。13年にフリーとなり、以来、メディアを問わずサッカージャーナリストとして活躍中。