連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、2000年代に隆盛を極めたACミラン。アンチェロッティ監督のもとで自在に戦い方を変えながら多くの栄冠を手にした。

成熟した「定義と補完」

画像: 2001年から2009年までミランで指揮を執ったアンチェロッティ監督。CLを2度制すなど国際舞台でとくに強さを発揮した(写真◎Getty Images)

2001年から2009年までミランで指揮を執ったアンチェロッティ監督。CLを2度制すなど国際舞台でとくに強さを発揮した(写真◎Getty Images)

 8年に及ぶ長期政権も異例だったが、主力の顔ぶれがほぼ同じだったのも珍しい。

 高密度の連動と経験値の高さが老かいなゲーム運びを可能にしていた反面、主力の高齢化に伴い、アグレッシブな戦法の実践が難しくなっていく。実際、CLで2度目の優勝を飾った頃には、すでにカカー経由の速攻が命綱のチームになっていた。

 両サイドバックがベテランの域に達すると、オープン攻撃の迫力が薄れ、有効な攻め手になりえなかった。さらに守りに回っても、スピードとスタミナの両面で大きな問題を抱えるようになる。

 そこでポゼッションを時間稼ぎのツールに使い、スローテンポの戦いへ引きずり込んでいく。そうしておいて一瞬の隙を突く奇襲へ転じるのだから、たちが悪い。

 そもそもボールを持つことへのこだわりがないイタリア勢の狡猾さとは違う。むしろ「南米的」なシロモノだ。そんな芸当ができたのも、やはりピルロという偉才に恵まれたからだろう。

 アンチェロッティの英断がなければ、ピルロのみならず、ミランやイタリア代表の歴史も、かなり違ったものになっていたはずだ。「レジスタ=ピルロ」とは、まさしくコロンブスの卵だった。

 ポゼッションもカウンターも、プレスもブロックも、しょせんは勝つための道具にすぎない。何かに特化するよりも、それらを状況に応じて上手に使いこなす方が、賢いやり方のはずだ。

 だが、理屈はそうでも、おいそれとはいかない。第一、手持ちの駒には向き・不向きがある。しかも、いつ、どこで戦い方を変えるか、その判断が「全会一致」でなければ、チームは機能しない。各々に機を逃さぬ高度な戦術眼が求められる。成熟した「大人のイレブン」が必要になるわけだ。その意味で、アンチェロッティの築いた最強ミランは実にアダルトなチームだった。

 ああ来れば、こうやる――。敵の打つ手に応じて、最善の一手を準備しておく。バックドア、オプション、リスクヘッジ。言い方はいろいろあるが、とにかく名将に抜かりはなかった。

 アルゼンチンのかつての名将であるセサル・ルイス・メノッティは、チームづくりの重要事項について「定義と補完」と看破した。1つの型を定めるのは当然としても、それだけでは不完全。同時にそれを補うもの(保険)がなければならないというわけだ。

 派手さもなければ、革新的でもない。しかし、アンチェロッティのミランは、紛れもなく「定義と補完」の傑作だった。

著者プロフィール◎ほうじょう・さとし/1968年生まれ。Jリーグが始まった93年にサッカーマガジン編集部入り。日韓W杯時の日本代表担当で、2004年にワールドサッカーマガジン編集長、08年から週刊サッカーマガジン編集長となる。13年にフリーとなり、以来、メディアを問わずサッカージャーナリストとして活躍中。

画像: 2004-2005シーズンのミランの面々(写真◎Getty Images)

2004-2005シーズンのミランの面々(写真◎Getty Images)


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