連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人、試合を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、1989年にトヨタカップで最強ACミランを互角の戦いを演じた南米の刺客、ナシオナル・メデジンだ。彼らのスモールフットボールは鮮烈だった。

最強ミランと互角の攻防

画像: 最終ラインを支えたアンドレス・エスコバル(写真◎サッカーマガジン)

最終ラインを支えたアンドレス・エスコバル(写真◎サッカーマガジン)

 最強メデジンのピークは、マツラナの就任3年目。翌年夏にイタリア・ワールドカップを控えていた1989年のことだ。まず、コパ・リベルタドーレスを制覇する。オリンピア(パラグアイ)との決勝は0-0のまま、PK戦に突入。ここでイギータが4本のPKをストップし、初優勝の原動力となった。

 さらに同年12月に南米のクラブ王者としてトヨタカップに挑んでいる。相手は当時のヨーロッパで向かうところ敵なしの最強ミラン(イタリア)だ。

 下馬評もミランが圧倒的有利。そこでメデジンが前評判を覆し、互角の勝負をやってのってける。フットボールの戦術史を書き換えたミランの苛烈なプレッシングをかいくぐって、一進一退の攻防へ持ち込んだのだ。

 スモールフットボールを極めたメデジンにとって、局地戦の攻防は臨むところ。球の争奪でも一歩も引かない。ミランのイレブンがピッチ上で面食らっている様子がはっきりと見て取れた。メデジンのシステムは、現代風の4-2-3-1に近い。FWのトレジェスが左翼、MFのアランゴが右翼、トップにはファハルドの控えだったアルボレダが入っている。ウスリアガは「切り札」としてサブに回っていた。

 2トップがサイドに開く変則の4-4-2とは違ったが、攻守の仕組みに差異はない。ミランのプレスが強力なぶん、かえって技術の高さが際立つほどだった。

 結局、90分を戦ってもスコアは動かず、延長戦へ。最終的にMFのエバニに直接FKを決められて敗れたものの、ミランを最後まで追い詰める戦いぶりは、実に堂々たるものだった。しかも、外国人の力を借りず、コロンビア人だけで、やり遂げている。自国選手の才能を信じ、それを十全に引き出したマツラナの手腕は見事というほかない。

 いったい、我々の強みは何か。それをどう生かせば、勝てる集団になるのか。マツラナには、それを具体化してチームに落とし込むアイディアがあった。

 異端のスモールフットボールは智将の創造力によって生み出された傑作と言っていい。マツラナはこの年をもってメデジンの監督を退任。代表の活動に専念する。

 そして、翌年のワールドカップで祖国をベスト16へ導いている。明らかに代表の「メデジン化」による快挙だった。

著者プロフィール◎ほうじょう・さとし/1968年生まれ。Jリーグが始まった93年にサッカーマガジン編集部入り。日韓W杯時の日本代表担当で、2004年にワールドサッカーマガジン編集長、08年から週刊サッカーマガジン編集長となる。13年にフリーとなり、以来、メディアを問わずサッカージャナリストとして活躍中。


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