上写真:初戦から圧巻の攻撃力を見せつけた日本。内容と結果を両立させ、2回目の優勝を飾った
写真◎BBM

 現地時間1月5日にUAE(アラブ首長国連邦)で開幕するアジアカップ。森保一監督率いる日本代表は9日のグループステージ初戦を皮切りに、2大会ぶり5回目の優勝を目指すことになる。そこでWEBサッカーマガジンでは特別連載として、史上最多となる過去4回の優勝を大会ごとにプレイバック。第2回は、地元開催のW杯に向けた強化の途上でアジアを制した、2000年レバノン大会を振り返る。

最初の3試合で13得点

 初出場した1998年フランス・ワールドカップ(W杯)の後、地元開催の2002年日韓W杯に向けて再スタートした日本代表は、フィリップ・トルシエ監督が当初から、00年シドニー五輪を目指すU-23代表との兼任で指揮を執っていた。その後にU-20代表監督も兼任すると、99年ワールドユース(現U-20W杯)で準優勝。この大会で中心となった『黄金世代』と呼ばれる選手たちを軸に、年代間の融合を図りながら強化を進めていた。

 当時の日本サッカー界はシドニー五輪を戦うU-23代表が、日本代表を上回る注目を集めていた。00年9月、メダル獲得が期待されたシドニー五輪は惜しくもベスト8で敗退。その3週間後にレバノンで開幕したアジアカップに臨んだ日本代表は、名波浩、森島寛晃などフランスW杯のメンバーに、高原直泰、中村俊輔、稲本潤一などシドニー五輪に参加したU-23代表も加わり、幅広い年代の選手たちで構成されていた。

 トルシエ監督は大会前に「われわれは本命。優勝カップを持ち帰る」と語り、自信をのぞかせていたが、その通りに日本は大会序盤から好調ぶりを見せつける。グループステージ初戦の相手は、前回96年大会の優勝国であるサウジアラビア。26分の柳沢敦の先制ゴールは、明神智和のロングパスから始まり、『ポストプレー→サポート→サイドに展開→クロス→フィニッシュ』という、トルシエ監督が就任時から植え付けてきた『オートマティズム』の動きから生まれた。その後も39分、54分、90分に得点を奪い、4-1の大勝。前回王者を圧倒する素晴らしいスタートを切った。

 さらにウズベキスタンとの第2戦では、7分に森島が先制点を奪うと、25分までに5得点という、第1戦を上回る驚異のゴールラッシュを演じる。その後も得点を重ね、2トップの西澤明訓と高原がそろってハットトリックを達成するなど、8-1で圧勝。2連勝として、早くもグループステージ首位通過を決めた。

 カタールとの第3戦は高桑大二朗、海本慶治が国際Aマッチデビューを飾るなど、控え選手中心のメンバーで臨んだ。前半に先制された後、海本が退場となって数的不利に陥った影響もあり、なかなか得点を奪えず苦しんだが、後半の西澤の同点ゴールで1-1の引き分け。全勝通過こそならなかったものの、多くの選手に出場機会を与えた上に、3試合で13得点を奪って攻撃陣が持ち味を発揮し、自信を深めながら決勝トーナメント進出を決めた。

画像: ウズベキスタンとの第2戦、高原はハットトリックの活躍。直前のシドニー五輪に続いて得点力を発揮した(写真◎BBM)

ウズベキスタンとの第2戦、高原はハットトリックの活躍。直前のシドニー五輪に続いて得点力を発揮した(写真◎BBM)

最後は「根性」で完封勝利

 この大会は12カ国が参加して争われ、決勝トーナメントは準々決勝のイラク戦から。日本は5分に先制されたものの、すぐさま反撃に転じる。7分、右サイドでFKを得ると、中村がゴール前に蹴ると見せかけてエリア外に浮き球を送り、走り込んできた名波浩が左足ボレーで蹴り込んだ。トリックと個々の技術が融合した素晴らしいゴールで追い付いた日本は、前半のうちに2点を追加し、4-1で逆転勝利。ただ一方で、日本の最終ラインの『フラット3』の弱点であるサイドを徹底的に狙われた内容には、一抹の不安を残した。

 準決勝は中国と対戦。相手は日本の攻撃力を警戒し、自陣に引いてスペースを消してきたが、21分にオウンゴールで先制する。しかし西澤が「パスコースを研究されていた」と振り返ったように、その後は攻撃陣がうまく封じられると、30分に失点。同点で後半に折り返すと、48分には逆転ゴールを奪われた。

 だが、ここから日本は持ち味の攻撃力を発揮する。53分、中村がFKを短くつないでから狙ったシュートは、クロスバーに当たって決まらなかったが、はね返りを西澤がダイビングヘッドで押し込んで同点。さらに61分、2失点目につながるミスを犯していた明神が、鮮やかなミドルシュートを決めて逆転。シーソーゲームを制し、2試合連続の逆転勝利で勝ち上がった。

 決勝の相手は、これで5大会連続の決勝進出となるサウジアラビア。日本は初戦で4-1と圧勝しているが、その後に大会中にもかかわらず監督を解任し、新監督の下で守備を立て直して勝ち上がってきた。日本は10分にPKを取られるピンチを迎えたが、相手のミスで失点を免れると、29分に先制点を奪う。右からのFKを中村が中央に送り、ファーサイドから走り込んできた望月重良が合わせてネットを揺らした。

 後半は相手の猛攻を浴びたが、「戦術どうこうではなく、半分は根性」と振り返った主将の森岡隆三を中心に、全員の体を張った守りで耐えた。それでも何度か危ない場面があったが、川口能活がファインセーブを連発する。右上スミに飛んできたシュートを右手一本ではじき出し、鋭く左サイドを突いたヘディングシュートは確実にキャッチ。ワンバウンドで左下スミに飛んできた難しいシュートもはじき出すなど、まさに最後の砦となって立ちはだかった。

 そのまま1-0で逃げ切った日本は、大会初の完封勝利で有終の美を飾り、東アジアの国として初めて、中東開催のアジアカップで頂点に立った。不用意な失点など危うさを感じさせながらも、ピッチ上の11人が素晴らしいコンビネーションを発揮した上で、結果も残した。現在も『史上最強』と評価する声が多い、日本サッカー史に残るチームだった。
  ※次回は2004年中国大会を振り返ります

画像: 大会MVPは名波が受賞した。この年の夏までプレーしたベネチア(イタリア)では思うように出場機会を得られなかったが、磐田に復帰して臨んだ今大会では見事な活躍。表彰式後の「イタリアにパスタを食いに行っていたわけじゃない」というコメントに、意地とプライドが垣間見えた(写真◎BBM)

大会MVPは名波が受賞した。この年の夏までプレーしたベネチア(イタリア)では思うように出場機会を得られなかったが、磐田に復帰して臨んだ今大会では見事な活躍。表彰式後の「イタリアにパスタを食いに行っていたわけじゃない」というコメントに、意地とプライドが垣間見えた(写真◎BBM)

【2000年アジアカップ日本代表(所属は当時)】
GK 川口 能活(横浜FM)
   高桑 大二朗(鹿島)
   下田 崇(広島)
DF 松田 直樹(横浜FM)
   森岡 隆三(清水)
   服部 年宏(磐田)
   中澤 佑二(V川崎)
   海本 慶治(神戸)
MF 望月 重良(京都)
   名波 浩(磐田)
   三浦 淳宏(横浜FM)
   森島 寛晃(C大阪)
   中村 俊輔(横浜FM)
   奥 大介(磐田)
   稲本 潤一(G大阪)
   明神 智和(柏)
   小野 伸二(浦和)
FW 西澤 明訓(C大阪)
   柳沢 敦(鹿島)
   久保 竜彦(広島)
   北嶋 秀朗(柏)
   高原 直泰(磐田)


This article is a sponsored article by
''.