フランクフルトを退団し、新天地に関するニュースが毎日のようにあがる日本代表の鎌田大地の書籍『ブレない信念 12人が証言する サッカー日本代表 鎌田大地の成長物語』がベースボール・マガジン社から発売された。7月29日に全国高校総体(インターハイ)が開幕するが、本書に掲載された第3章の一部を抜粋し、鎌田の高校時代をお届けする。第1回は東山高校1年生のときの話。

選手権予選の決勝で負けたあとに寮に戻ると

 1993年のJリーグ開幕とともに、各クラブがアカデミーを創設した。アカデミー育ちのJリーガーが増えるのに伴い、高体連とアカデミーの違いについての議論が増えたが、最大の違いはチームメイトの応援かもしれない。

 Jクラブのアカデミーに在籍する選手たちは、選手権に出て、何万人もの観客が入った国立競技場でプレーすることよりも、試合に出られない悔しさを抱える数多くの同級生や先輩たちからエールを送られて大舞台でプレーすることの方にあこがれを抱くという。選手は、他人の人生を背負う経験によって、人間的にたくましくなるのかもしれない。選手権で全国準優勝した22年度の東山高校の選手たちは、キャプテンでDFの新谷陸斗主将(現・明治大学)をはじめ、主力の半数近くがセレッソ大阪のアカデミー育ちである。彼らは、U-15時代に、スウェーデンで行われた世界最大規模の国際ユース大会、ゴシアカップに出場した。実は、東山高校もこの大会に参加していた。東山高校の選手たちは、自分たちの試合がないときはセレッソを応援した。セレッソの選手たちは東山高校に対して好印象を持ち、それが、新谷たちが東山高校入学を決める一因になった。

Jクラブのアカデミーでは気づけなかった仲間たちの思い、それが大地の成長を促したことは間違いない。

「試合では、同級生だけでなく、上級生も応援してくれます。途中から出場した大地にエールを送ってくれる姿を見て、大地には感じるものがあったと思います。先輩の応援には、自分がピッチに立てない分を後輩に託すという意味もあります。その思いを本気で感じた大地は、少しずつ変わっていきました」(福重)

 当時の東山高校には、選手たちの取り決めとして、部内ルールを守らなかった者は坊主頭にするという規則があった。入学した頃の大地は、「坊主頭にしたら、サッカーがうまくなるの?」と言うタイプだったが、選手権予選の決勝で負けたあとに寮に戻ると、すぐにバリカンを手にとり、自ら頭を丸めた。翌日、坊主頭で学校に現れた大地に福重は驚き、幹雄に連絡した。

 決勝での敗戦をきっかけに、サッカーに対する大地の意識が少しずつ変わっていった。チームスポーツにはチームワークが大事だと考え始めた。

 それまでは、「攻守の切り替えを意識しなさい。奪われたら、奪い返すんだ」と福重に言われても、奪い返そうとするのは、自分が奪われたときだけだった。味方がミスした場合は、これは自分のミスではないといった態度を見せ、奪い返そうとしなかった。

 しかし、勝つためにはチーム全体で切り替えることが大事だと気づき、別の選手がミスしたケースでも、守備をするようになった。大地は昨年のカタール・ワールドカップの際に、「自分を犠牲にしてチームのために戦うのは高校サッカーのとき以来」と話したが、その言葉の原点である。

文◎森田将義