プロ3年目で飛躍も名波に怒られた
2年目まで『ゼロ試合』の男が、プロ3年目でようやくチャンスをつかみ、04年10月24日のアルビレックス新潟戦で初先発・初ゴールをマークした。
「打ったら入りました。あの1点から僕のすべてが始まったんです」
当時から名波には可愛がれていた。唯一無二の司令塔から常に言われていたことがある。
「俺が見ていないと思っても、お前は走り出せ!」
信じて走れば、必ずパスが出てきた。
「一度、名波さんもさすがに見てないだろと思い、走らなかったことがあったんですよ。そうしたら、パスは出てきて……。あのときは、めちゃくちゃ怒られました。それ以来、必ず走っていました」
持ち前のスピードを生かしたプレーで結果を残し始め、自信も付いてきた。2005年からは主力となり、07年には初めて日本代表にも招集された。
「自分の力だけでやれていると勘違いするようになっていました。周りのパスに生かされていたのに、それを分かっていなかった。代表に呼ばれても試合に出られず、ジュビロに戻っても出場機会が減りました。当時の僕は周りのせいにしていました。甘えていたんです」
08年には追い打ちをかけるように右ヒザの前十字靭帯を断裂。ますます状況は苦しくなっていたが、自信は揺らがなかった。09年7月31日、クラブに慰留されながら契約満了で退団。ゼロ円提示を受けたわけではない。ほとんど前例のない海外挑戦の道を自ら選んだのだ。
無謀とも言えるチャレンジが人生を変えるきっかけになるとは、26歳の太田は知るよしもなかった。
Profile◎おおた・よしあき/1983年6月11日生まれ、静岡県出身。ジュビロ磐田のU-15、U-18を経て、2002年にトップチーム昇格。05年から主力として活躍し、07年には日本代表に初めて招集された。09年7月に契約満了で磐田を退団し、ヨーロッパで半年間テストを受けるが、契約に至らず帰国。10年からベガルタ仙台に加入し、14年までプレーした。15年に当時J2の磐田に復帰し、J1復帰に大きく貢献した。その後も古巣に在籍し、19年限りで現役を退いた。J1通算310試合36得点、J2通算39試合4得点の記録を残した。176cm、72kg