不定期連載『ボールと生きる。』では一人のフットボーラーを掘り下げる。第2回は昨季限りで引退した太田吉彰が登場。ベガルタ仙台、ジュビロ磐田で過ごした18年の歩みを振り返る。前編は仙台所属時に経験した東日本大震災とリーグ再開、その後の自身の変化について(全3回)

多くの人に夢を与えてこそプロ

多くの人の心に響いた川崎F戦の同点ゴール。「全員で押し込んだもの」を太田は振り返る(写真◎J.LEAGUE)

 スイッチが入ったのはベガルタから再び集合がかかってから。4月4日には千葉キャンプがスタートし、死にものぐるいでボールを追いかけた。FWマルキーニョスが急きょ退団し、その穴を埋める存在として期待を掛けられていたのだ。

キャンプ前には東北地方の被災地を回り、心を動かされた。無邪気にボールを蹴る子どもからは笑顔で「ありがとう」とお礼を言われ、体育館の片隅にダンボールを敷き、ポツンと座っていた老婆には「サッカーで頑張ってください」と涙をこぼされた。

「こちらが被災者の方を勇気づけに行っているのに、逆に元気やパワーをもらいました。これで活躍しないとダメだろと思いましたよ。何のために仙台に来たのか分からないって。あのとき、初めて誰かのためにサッカーをしようと思いました。多くの人たちに夢を与えてこそ、プロアスリートだろと。僕はここで変わったんです。自分が犠牲になっても、他の選手が活躍して勝てれば、それでもいい。それまでの僕は、自分のためだけにサッカーをしていました。本当に甘かったですね」

 約1カ月半の中断を経て、リーグが再開した4月23日の川崎フロンターレ戦では、先発メンバーに名を連ねた。雨が降り注ぐ等々力競技場で被災地のために、ひたすら走り続けた。手倉森誠監督の「希望の光になろう」という言葉の意味は、太田を含めてチーム全員が深く理解していた。足がつっても関係ない。73分、体勢を崩しながら右足で同点ゴールを流し込んだ。

「本来ならば絶対に入らないようなシュートです。あれは全員で押し込んだもの。すべての人の思いが乗っていた。自分だけの力ではありません。キャリアを振り返っても、すぐに思い浮かぶのは、やはりあのゴールです。選手としても、あの一発がなければ、ベガルタでのその後もなかったかもしれません」

 マルキーニョスの抜けた穴を危惧する声は、気がつけば聞こえなくなっていた。2トップの一角に入った太田は次節のゴールも鮮明に覚えている。ユアテックスタジアム仙台に浦和レッズを迎えたホームの再開初戦。ファン・サポーターに後押しされて、勢いそのまま試合に臨み、40分に先制ゴールをマーク。2試合連続得点を挙げたヒーローの活躍に、会場は沸きに沸いた。

「ヘディングで競って決めたゴールなんて、これまでなかった。あのとき一瞬、時間が止まりました。フロンターレ戦と同じで、スローモーションで見えて……。電光掲示板に太田吉彰の名前が出て、場内アナウンスで自分の名前を聞いても、まだ信じられなかった。本当に俺が決めたんだって。あとにも先にもあんな経験は、初めてです」

 再開後から11戦負けなし。シーズンの最後まで走り続け、クラブ史上最高の4位でフィニッシュ。

「ファン・サポーターには感謝しています。あれだけの声援をもらえば、絶対に負けられないですよ。練習からもみんな目の色を変えていました」