連載『サッカー世界遺産』では後世に残すべきチームや人を取り上げる。今回、世界遺産登録するのは、オランダの第3勢力から欧州王者にのし上がったPSVアイントホーヘン。80年代後半、ヒディンク監督のもとで隆盛を極めた。

上写真=1987-88シーズンのチャンピオンズカップを制したPSV(写真◎Getty Images)

文◎北條 聡 写真◎Getty Images

ドレッドヘアの有望株

 あべこべ――だった。

 前から守り、後ろから攻める。まるでラグビーのような戦いぶりに魅力の源泉があった。まさに神出鬼没。1980年代半ばから黄金期を築いたオランダの強豪PSVのことだ。

 敵のゴールに向かって、後方から二の矢、三の矢が次々と放たれる。休みのない攻撃参加の連続。いつ、どこで、誰が、どこに現れるのか予測がつかなかった。そして、ダイナミックな攻撃を締めくくる「真打ち」が最後尾にいた。リベロ(自由人)だ。攻撃の始点であるかばかりか、終点でもあったのである。

 スペクタクルは後ろから――。最強PSVの伝説とは、常識はずれのリベロを手にしたところから始まっていた。

 クラブ名のPSVとは、英訳すると「フィリップス・スポーツ・ユニオン」という意味だ。企業名の『フィリップス』 社(大手家電メーカー)を冠している。本拠地のアイントホーフェンはオランダ第5の都市。1891年にフィリップスの創業者が、ここで事業をはじめたという。首都アムステルダムと比べれば、とても小さな街だ。

 オランダでは1970年代半ばまでアヤックスとフェイエノールトがしのぎを削る2強時代。PSVが台頭してきたのは1970年代の後半に入ってからだ。当時のチームはオランダ代表でも活躍したビリーとレネのファンデケルクホフ兄弟を擁していた。しかし、1977-78シーズンを最後にタイトルから遠ざかる。

 転機は1985年の夏だった。ベテラン、若手を問わず、優秀なタレントをかき集め、チーム力を飛躍的に向上させていく。国際的に名の通った新戦力は、デンマーク代表の技巧派MFアルネセンやベルギー代表の右サイドバックを担うゲレツだ。しかし、最大のヒットはフェイエノールトから引き抜いた国内屈指の有望株である。

 ドレッドヘアを風になびかせ、ピッチを縦横に駆け回る若者が、クラブ史を一変させる。若き日のルート・フリットだった。

オランダ版ランバ=サンバ

フリットは自由奔放なプレーでPSVを一気に強豪に押し上げた立役者だった(写真◎Getty Images)

 フリットの名が世界的に広まるのは、1987年のことである。同年夏にイタリアの名門ミランへ移籍してからだ。同年のバロンドール(ヨーロッパ年間最優秀選手賞)も受賞している。当時のサッカー界と言えば前年のメキシコ・ワールドカップで祖国アルゼンチンを優勝へ導いたディエゴ・マラドーナの一挙手一投足に耳目が集まっていたが、ヨーロッパでは秘かに「オランダにとんでもない怪物がいる」という噂でもちきりだった。

 確かに、フリットは掛け値なしの「怪物」だった。わずか2年間で計46ゴール。2年目は24得点を荒稼ぎしている。これがストライカーの数字なら驚くには当たらないが、フリットは違った。

 リベロである。

 1年目は重鎮ゲレツがリベロに回り、フリットが最前線に陣取るケースもあったが、2年目は一貫してリベロを担っている。それでド派手なゴールラッシュを演じたのだから、普通ではない。

 フリットを得た1年目、PSVは8年ぶり8回目のリーグ優勝を果たしている。だが、それ以上に衝撃だったのは連覇を成し遂げたシーズンだろう。アヤックスから軽業師ファネンブルグとクーマン兄弟の弟ロナルドが加わり、一段と豪華な陣容が整ったからだ。

 面白いのはアシスタントコーチから代行監督に昇格した若き日のフース・ヒディンクの用兵術である。リベロが本職だったクーマンを得てもなお、フリットをリベロに据えるアイディアを崩さなかったからだ。

 ヒディンクは、フリットの前方にクーマンをもってきた。奔放に攻め上がるフリットの自由を担保するため、クーマンが「かりそめのリベロ」として機能する工夫を施したわけである。

 かつて西ドイツ代表が1972年のヨーロッパ選手権で同じアイディアを試みていた。『皇帝』フランツ・ベッケンバウアーとギュンター・ネッツァーの2人が代わるがわるリベロの役回りを演じた「ランバ=サンバ」がそれである。

 フリットとクーマンを前後2列に並べる「ダブル・リベロ」システムは、それを上回るスケール感だった。何しろ2人が同時に攻め上がるケースもあったくらいだ。その場合はゲレツがリベロに回って、リスクを最小化している。

 最後尾では掃除人に、中盤では司令塔に、最前線では点取り屋に転じたフリットは「一人三役」をこなす空前絶後のリベロだった。ピッチ上で自由に振る舞えるときは、まさに水を得た魚。思慮深いヒディンクは、誰よりもフリットの生かし方を心得ていた。