カズ(三浦知良)が得点王のタイトルを手にしたのは1996年だった。そのキャリアの中でも特筆すべきシーズンだったと言えるだろう。24年前のカズを、元サッカーマガジン編集長の伊東武彦氏が綴る。

あの子は頭がいい(加茂周)

フランスW杯を目指すチームでは1トップを務めた(写真◎サッカーマガジン)

 フランス・ワールドカップ予選があった97年、カズは戦い方によっては1トップも務め、より厳しいゾーンでのプレーを求められた。象徴的なのは、キリンカップのクロアチア戦で決めたゴールだ。カズは相馬の折り返しにニアサイドに飛び込んでヘッドで合わせて決めた。加茂はこの試合後、「あの子は頭がいい」とカズを評している。

 決して適性とはいえない1トップで起用された背景には、カズのペアを見つけられないチームづくりの事情があった。中山はメンバー外になり、城彰二はまだ若く、最終予選中に日本国籍を取得した大型タイプの呂比須ワグナーとは息が合わない。最終予選は、悪循環だった。

「9番」に徹すほどに、ゴールから見放されて焦りが募る。最終予選序盤での負傷も響き、本来のストライカーの仕事を忘れて、自らリズムを崩す場面もあった。

 予選半ばで就任した岡田武史監督は最後に中山を呼び戻したが、フランスの本大会に向けては城彰二をエースに指名し、カズの出番は限られたものになっていく。

 それから四半世紀、京都サンガ、ヴィッセル神戸、横浜FCと、カズは体と相談しながらいかに自分が生きるかを考え続けてきた。「頭の良さ」がなければ、ここまで生き残れはしなかっただろう。
 往時の運動量と切れ味は望むべくもないが、大型FWを利用したゴール、こぼれ球をプッシュしたゴールと、経験を活かした動きでJリーグの最年長得点記録を更新してきた。その間、カズはこのタイトルについて、多くを語っていない。

 得点王はワールドカップへの憧憬と本場帰りの矜恃を持ち合わせた男が、時代の要請に応えようとした証ではある。が、「9番」に徹して手にしたタイトルが生涯唯一の勲章であることは、ボールと戯たわむれることが誰よりも似合うカズというプレーヤーの本質を物語っているようにも思える。

 53歳になったカズは言う。

「ゴール? 周りで騒ぐほどのこだわりはないよ」

 いつわりではないはずだ。

Profile◎みうら・かずよし/ 1967年2月26日生まれ。静岡学園高校を中退してブラジルに渡り、86年にサントスFC と契約。90年に帰国して読売クラブ(現在の東京ヴェルディ)に加わり、93年にはJリーグの初代MVPに選ばれた。94年にジェノア(イタリア)へ移籍してセリエAでプレー。95年にJリーグに復帰し、98-99シーズンに再び海外移籍(クロアチア・ザグレブ)。その後、京都サンガ、ヴィッセル神戸を経て、05年より横浜FC でプレーする(一時、シドニーFCへの期限付き移籍)。日本代表では89試合出場55得点を記録している。