クラブの気質にも合う心を揺さぶるプレー
もちろん、スコットランドのプレミアとイングランドのプレミアとでは、リーグ全体のレベルが違う。おまけに移籍先は、22年ぶりのトップリーグ復帰が1シーズン限りとなった一昨季を機に、変化の多いチームでもある。即座の帰り咲きを狙った昨夏には、プレーメーカーのマルセリーノ・ヌニェス(前ノリッジ/2部)をはじめ、即戦力クラス11名が加入。降格回避を目指す今夏も、前田と同じ攻撃陣だけを見ても、最前線にはエメルソン(前トゥールーズ/フランス1部)、ウイングにはアブドゥル・ファタウ(前レスター/3部)が、7月の段階で獲得されている。時を前後して指揮官まで変わっている新環境において、数字で確認できる結果を出し始めるには多少なりとも時間を要する可能性はある。
幸い、イプスウィッチのファンは、自軍へのブーイングが異例ではなくなりつつある昨今のプレミアでも、チームに寛容であり続けている。補強に215億円近くを費やした結果が、ほぼ降格圏内に根を張ったままの19位で、ホームでは1度しか勝利を拝めないまま、チャンピオンシップへのUターンに終わった一昨季にも、ポートマン・ロードのホーム観衆は批判的なムードを発散してはいなかった。3部からの連続昇格という功績があったとはいえ、4年半のキーラン前体制時代を、ファンの多くが「光栄の至り」と言って止まない。今夏の監督交代も、当人の意思による辞任だった。
そのようなクラブ気質ではなくとも、サポーターであれば、ネットを揺らす頻度とは無関係に、前田という選手に心を揺さぶられずにはいられないのではないかとも思える。
「チームのため、サポーターのために全力で走るし、全力で戦う」と誓ったSNS上でのメッセージには、掲示板型サイトで「セルティックに移籍した時にも同じようなことを言っていた」と、茶化す書き込みも見られた。しかし、「言った通りのことをやっているのだから、次のクラブでも言ったっていいんじゃない?」との反応があったように、選手としての前提のようでいて、実際には誰しもに共通とは言い難い、この姿勢を貫ける一線級が前田でもある。
今回の移籍決定後、BBCラジオで前田評を求められたセルティックの女性ファンは、常に「魂のこもった」プレーを見せてくれる前田を、「(リオネル・)メッシみたいなタイプとは別の意味で、間違いなく夢のような選手。(ファンとして)サッカー選手を創造するとしたら、チームのために全てを捧げてくれる選手が理想。しかも彼は、現実として効果も抜群な選手なのよ」と称えていた。
続いて登場したイプスウィッチの男性ファンも、「運動量、速さ、決定力の三拍子そろった選手で、かなりやってくれそうだ」と、大歓迎の様子だった。通常、サポーターというものは、世界的なビッグネームの加入でもない限りは、最終的にがっかりしたくない気持ちが働いて期待を自制しがちだ。しかし、イプスウィッチの前田は例外と言えそうだ。
そんな前田を、筆者は “トラクターボーイズ”の愛称を持つ移籍先にちなんで「農耕馬」に例えたい。それも、馬力だけではなく、サラブレット並みの走力をも発揮する、極めて有益な使役馬だ。セルティックでの昨季までとは違い、イプスイッチでは、タイトルレースではなく、サバイバルレースに出走するシーズンが見込まれる。それでも、チーム「12人目」の熱い声援を背に、かといって余計なプレッシャーを背負うことはなく、快足を飛ばしてプレミア初挑戦の9カ月を走り抜く姿が楽しみでならない。
文◎山中忍