新たな所属先がどこになるのか、連日のように報じられている注目のプレーヤー、日本代表のMF鎌田大地は高校時代、どんな選手だったのか。先ごろ発売となった『ブレない信念――12人が証言する サッカー日本代表 鎌田大地の成長物語』(森田将義・著/ベースボール・マガジン社・刊)からエピソードを抜粋して紹介する(第2回)。

上写真=1年生から試合に絡み、2年生では完全にチームの中心となっていた東山高校時代の鎌田大地(写真◎森田将義)

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「2年生の年が勝負の年」

 鎌田大地が高校2年生になると、私生活に大きな変化があった。1年生のときは学校近くの寮で暮らしていたのだが、2年生になるタイミングで兵庫県尼崎市に引っ越した。父・幹雄が神戸市に転勤することが決まり、一緒に暮らすことにしたのだ。

 大地が学校に通える場所にしようという話になった。兵庫県内のJRの駅で最も京都府寄りにあり、新快速も停車する尼崎を選択。2人での新生活がスタートした。

 幹雄は、高校生活のすべてをサッカーにかける大地を懸命にサポートした。慣れない料理づくりに励み、週末になると、試合会場に足を運んだ。この頃には、大地に注目するJクラブのスカウトが現れ始めていた。

「2年生の年が勝負」と話していた2人はプリンスリーグ関西の得点者一覧を書き出し、目に見える結果を意識した。その意気込み通り、この年の大地は得点王とアシスト王を獲得した。

「全国大会に行って、去年の西京極(1年時の全国高校サッカー選手権大会京都府予選)の借りを返すしかない」と張り切った6月の全国高校総体予選は決勝で洛北高校に敗れ、勝てば2年連続だった本大会出場を逃した。MF北村明信(この年<2013年度>のキャプテン)がケガにより、大会前に戦線離脱。「点を入れるなら、フォワードやトップ下の方がいいけど、(北村不在の)この状況では、僕がノン君(北村)の代わりにボランチをやるしかありませんでした。ルーズボールをしっかりと拾おう、ボールが前でしっかりと収まったときは、うしろからサポートに入ろう。そこから仕掛けられるなら、自分で仕掛けようと考えました」という大地は、慣れないポジションに苦戦しながらも、守備で懸命に汗を流した。

気の緩みが、どこかにあったのかもしれない

 準々決勝で京都橘高校を下し、前年度の選手権予選決勝で負けた借りを返したが、決勝で敗北を喫した。大地は、「去年から試合に出ていたのは僕とノン君だけだったので、ノン君を絶対に全国大会に連れていきたいと思っていました。そのノン君の分までとの思いがあったので、最後の方はプレッシャーでやばかったです」と悔しそうに話した。

 大地が在籍していたときの東山高校は、確かな力を持ちながらも、大一番でなかなか勝てずにいた。勝負強さが足りなかった。

 7月にプリンスリーグ関西で京都橘高校と対戦した際は、大地の2ゴールなどにより、5-0で快勝した。続く9月の一戦では、直後に行われる選手権予選を見据えた東山高校が主力を温存し、逆に0-5で大敗。しかし、試合内容では大きく上回った。

 東山高校の誰もが、選手権の本大会出場を目指し、必死に頑張っていた。その一方で、勝てるだろうという気の緩みが、どこかにあったのかもしれない。肝心の選手権予選は、京都橘高校に敗れてしまった。

 勝ち上がった両校は、準決勝で対戦した。この年4度目の対戦となった一戦は、オウンゴールを皮切りに失点を重ね、0-3で涙をのんだ。悔しさを味わった会場は、またしても西京極だった。

 ちなみに、大地がその次にこの場所を訪れたのはプロ1年目の8月だった。年代別代表に初選出され、西京極で行われたU-22日本代表の短期合宿に参加したのだ。大地は、「ここでプレーするのは、高2の選手権(予選のとき)以来。ボコボコにされたので、いい思い出はまったくありません」と苦笑いしていた。