J1で優勝争いができるようなチームに
――ここまでのプロ2年間を、どう振り返りますか?
宇野 ケガで苦しむ時間が長くあり、多くの方に支えていただきました。ドクターやトレーナーなど本当に多くの方にご尽力いただき、支えられて、ここまで来ることができたと思っています。恩返しというか、ケガが治ってピッチで走っている姿を今季は多く見せることができて、本当によかったです。
サッカーのことだけを考えるのであれば、できるだけ多くの試合に出ることが、いろいろな経験や成長につながると思いますが、一社会人でもあるプロサッカー選手としては、こういう長い期間の離脱を早い段階で経験できたのは、これからの自分のキャリアにとって本当に大切なことだと思います。そういう意味では、とても充実しています。スタメンとして試合に出ることも、逆にメンバーに入らない経験もたくさんできました。難しい時間や期間があり、『そういう時間が大切だ』というメンタル的な変換も、この2年間では必要でした。いまはメンタルコントロールにも意識を向けながら生活できているので、順風満帆ではありませんが、良い2年間を過ごしてきたと思います。
――今年は年代別日本代表として、U-20ワールドカップも目標になっていたかと思います。
宇野 ちょうどケガが治って復帰してU-20日本代表に呼ばれたのに、そのタイミングでまたケガをしてしまいました。「ワールドカップに出ていたら…」と、いつも考えてしまう時期もありましたが、過ぎてしまったことはどうしようもありません。僕が目指しているのはA代表です。U-20ワールドカップに出たからといって、A代表に入れる確証にはならないんだ、と気持ちを切り替えました。でも、U-20日本代表の試合は全部見ました。悔しい気持ちや反骨心を自分に植え付けることができたのは、逆によかったと思っています。
――U-20ワールドカップでは、高校の同期である松木玖生選手(FC東京)が活躍していました。どんな思いがありますか?
宇野 先日もアジアで一番可能性がある選手として、アジア年間最優秀ユース選手賞を受賞していましたし、僕たちの世代で先頭を走っている素晴らしい選手なので、本当にすごいと思います。U-20ワールドカップでも得点を決めたり、キャプテンマークを巻いて活躍している姿を見ながら、いまの自分に何ができるのかを考えました。この一瞬、この時間をどう過ごすかが大事だと思っているので、感情に振り回されないという点で、むしろ成長できたと思います。
――来季はJ1の舞台で、同じ東京都のクラブの一員として、ピッチ上で再会することになるかもしれません。
宇野 高校どころか、中学時代からボランチでコンビを組んできた選手です。そういう選手とプロの舞台で対戦できる可能性があるのは、楽しみでしかありません。
――少し早いかもしれませんが、現時点で来季に向けての目標は見えていますか?
宇野 今シーズンが始まる前に自分に課していたのは、ケガをしないことと、半分以上の試合に出ることでした。より多くの試合に出ることは、常に自分に課しています。試合に出なければ選手の価値は上がっていかないので、試合に出て、どういうプレーができて、どういうプレーができていなかったかを常に考えながら、シーズンを過ごすことができれば幸せです。町田としても、1年でJ2に降格するのは本当にもったいないので、必ず残留、欲を言えば優勝争いができるようなチームに成長していければと思っています。
取材・構成◎杉山孝
うの・ぜんと◎2003年11月20日生まれ、福島県出身。小学校卒業後に青森山田中へと進学し、青森山田高では3年時に全国高校総体(インターハイ)、高円宮杯プレミアリーグEAST、高校選手権の3冠獲得に貢献した。ルーキーイヤーの2022年には開幕戦でメンバー入りを果たし、第8節でプロデビュー。少しずつ出場機会を増やしていたものの、左第五中足骨骨折で7月以降は出場機会がなかった。今季は3月に反対の右第五中足骨を疲労骨折するも、復帰すると高校時代の恩師でもある黒田剛監督の下で大きな飛躍を遂げ、シーズン終盤の活躍で初のJ1昇格・J2優勝に貢献した。176cm、72kg