8月24日、鹿島アントラーズの内田篤人がオンラインで引退記者会見を行なった。現役引退を決断した経緯について、サイドバックについて、家族について、そして今後について。およそ1時間10分に及ぶ会見で、記者からの一つひとつの質問に、内田は丁寧に答えた。

サイドバックというポジション。「やってみると面白い」

 内田は静岡県田方郡函南町で生まれ育ち、高校時代は自宅から清水東高校に通学した。「家が遠かったので、毎朝始発で通っていました」と、当時を振り返る。その高校時代に、サイドバックへの道を開いた。

「高校時代なのでよくあるじゃないですか、磁石の『内田』と書かれたマークが、サイドバックの位置になっていた。だから、僕はこれからここでプレーするんだなと。(監督に)特に質問することもなく、最初は点が取れないからサイドバックになったんだなという印象でした。やってみると面白いポジションで、誰でもできるポジションだけど、案外難しくて。僕には合っていたのかなと。外から見る感じだったり、相手がプレッシャーに来ない中で、少ない選択肢からゴールにつなげる選択をチョイスするというのは、自分の中では合っていたと思います」

高校時代に挑戦したサイドバック。内田はその奥深さを感じながらプレーしてきた(写真◎Getty Images)

 そんな自身のルーツである“サッカーどころ”静岡県についても言葉をつむぐ。

「小学校、中学校、高校と、静岡で本当に楽しくサッカーをさせていただきました。サッカー王国と呼ばれる土地だけあって、サッカーがすごく盛んでした。

 静岡は独特なサッカーの空気というか、そういうものもあります。(昨年度の全国高校選手権大会で)静岡学園が優勝しました。国体も優勝しました。少しずつ静岡の色というのが濃くなってきているんじゃないかな、戻ってきているんじゃないかなと思います。僕も静岡(出身)の選手と対戦するときはすごく楽しみだし、鹿島にも静岡出身の選手が何人かいます。彼らにあとは託して、僕はそれを見守りたいと思います」