8月24日、鹿島アントラーズの内田篤人がオンラインで引退記者会見を行なった。現役引退を決断した経緯について、サイドバックについて、家族について、そして今後について。およそ1時間10分に及ぶ会見で、記者からの一つひとつの質問に、内田は丁寧に答えた。

上写真=現役引退会見を行なった内田篤人(写真◎KASHIMA ANTLERS)

写真◎J.LEAGUE、Getty Images、KASHIMA ANTLERS、サッカーマガジン

引退の真意。「けじめをつけなければいけない」

「試合前、実は(広瀬)陸斗に『絶対ケガするな』、『3-0で残り15分まで持ってこい』という話をしていたのですが、彼はやってくれました。空気を読んだというか。でも、彼のケガは心配です。(交代選手として)僕のチョイスも、永木亮太のチョイスもあったのですが、(ザーゴ)監督が僕の隣に座って、『今日の試合の責任は全部、俺が持つから、思いっきりプレーして来い』と言ってくださって。それから準備を始めました。僕が途中から入って、ケガをして交代枠をまた一つ使うことは絶対に避けたかったので、それには気を遣いました」

 現役ラストマッチから一夜明け、内田篤人はそのように、前日のG大阪戦での途中出場を振り返った。前半16分に右サイドバックの広瀬が負傷し、急きょ出番が回ってきた。アディショナルタイムを含めて80分間あまり、カシマスタジアムのピッチを駆け抜けた。

 8月24日、スーツ姿の内田は会見の席についた。新型コロナウイルスの影響により、オンラインでの引退会見となった。「昨日、スタジアムで最後に話したこと(引退スピーチの内容)がほとんどなので、僕からはほとんどありません。以上です(笑)。もう質問に移ってもらったほうがいいかなと思います」。穏やかな表情で、笑みをまじえながら会見が始まった。それからおよそ1時間10分、内田は記者からの質問の一つひとつに丁寧に答えていった。

「昨シーズンが終わったときに、もう契約してもらえないかなと、少し思っていた部分があって、その中でも(今季は)もう1年、チャンスをもらえた印象でした。強化部、満さん(鈴木満・強化部長)に話をしに行ったのは、この前のルヴァンカップ(清水戦)の試合のあと。チームの助けになれていないことと、このまま契約を解除して引退させてほしいということを、試合後、そのまま言いに行きました。

 先輩たちは、グラウンドでやるべきことをやっていた。僕自身はそれを見てきました。満男さん(小笠原満男・現テクニカルアドバイザー)だったり、ヤナギさん(柳沢敦・現ユースチームコーチ)、中田浩二さん(現クラブリレーションズオフィサー)、剛さん(大岩剛)、僕が入った年は本田(泰人)さんもいましたけれど、鹿島の選手らしい振る舞いというか、立ち姿は、自分の中で感じるものがあった。それが僕にはできていないなと。練習中もケガをしないように(負荷を)少し抑えながら、ゲームでも少し抑えながらのプレーが続く中で、例えば亮太(永木)とか、小泉慶、土居(聖真)くんとか、練習を100パーセント(の力)でやっている。その隣に立つのは失礼だなと、思うようになりました。鹿島の選手としてけじめをつけなければいけないと。

 例えばカテゴリーを下げるとか、環境を変えるために移籍をしてということも選択肢としてはあると思うけれど、鹿島以外でやる選択肢はなかった。ここで辞めさせていただきたいというか、そういうふうに思いました」

 前日のスピーチでも言及したが、あらためて現役引退を決めた理由をこのように述べた。初めて明かされた、決断の経緯。クラブに意思を伝えたルヴァンカップの一戦は、内田の地元・静岡県清水で行なわれた試合だった。

「(先発出場したルヴァンカップの)エスパルス戦でどうこうというよりは、その前の試合(J1第9節鳥栖戦)でベンチに入れてもらったときに、グラウンドレベルで残り10分、20分のプレーを真横で見て、自分にはこの時間帯で、この強度に耐えるだけの体はもうないなと思いました。そんな中で迎えたルヴァンカップのエスパルス戦でした。

 前半はほとんど抑えながらプレーしたのですが、後半はやはりもたない。もっと細かいことを言えば、危ないところが分かっているのに、そこのスペースに行けなくなったり、自分が行かなきゃいけないポジションにスピードを持って行けなくなったり。そういうシーンが自分の中で数多くあって、ルヴァンカップ、あの試合が自分の中で、辞めなきゃダメだというような後押しになったのかもしれません。

 僕が引退を決めた(試合)というか、最後のアウェー戦は日本平(IAIスタジアム日本平)で、自分の地元でやれたので、何か縁があるのかなと思います」