1993年にスタートしたJリーグでは、様々な特徴を持つストライカーがゴールを奪い、得点王に輝いてきた。Jリーグ得点王の活躍を振り返る連載の第6回は、驚異的なペースで得点を重ねた中山雅史を取り上げる。

上写真=得点後にゴール裏のファン・サポーターに向かって絶叫! 中山は気迫あふれるプレーで『ゴンゴール』を重ねた(写真◎J.LEAGUE)

Jリーグ史上最多記録

 過去5回の連載で掲載してきた、シーズンごとの得点ランキングを見てもらえれば分かる通り、中山雅史はJリーグ開幕から5年間、5位以内に入ったことがない。1995年と97年に18得点を奪い、97年にはジュビロ磐田をJリーグ初優勝に導いているが、得点王を争うには至らなかった。

 ところが、この年はシーズン序盤から空前絶後のゴールラッシュを演じる。1stステージ第5節までは2得点だったが、第6節が伝説の始まりだった。この試合でセレッソ大阪から5得点を奪うと(チームは9-1で勝利)、第7節ではサンフレッチェ広島から4得点(〇5-0)、第8節ではアビスパ福岡から4得点(〇7-1)、第9節ではコンサドーレ札幌から3得点(〇4-0)。驚異の4試合連続ハットトリックを達成し、当時のギネスブック世界記録に認定された。

 磐田は藤田俊哉、名波浩、福西崇史、ドゥンガの中盤を軸に黄金時代を迎えていた。そこに、元来の気迫あふれるプレーに加えてオフ・ザ・ボールの動きを磨き、ワンタッチシュートの質を高めた中山が絡み、チームメイトが作り出したチャンスを確実に決めていく。勝利の後にゴール裏のファン・サポーターの「中山隊長、ゴンゴール!」の歌声に合わせ、ダンスを披露する中山の姿が何度も見られた。