上写真=専修大の中心選手として活躍、リーグMVPも獲得した下田(写真◎関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子)
文◎杉園昌之 写真◎関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子、J.LEAGUE
2人分は動いていた
まだ太陽も昇らないような午前4時50分に自宅を出て、平塚から伊勢原駅まで約30分間、毎日のように自転車で走った。寒くて凍えそうな日も、うだるような暑さの日もペダルを踏み続けた。そこから小田急線に乗り、向ヶ丘遊園駅へ。専修大の練習は早朝に行なわれるのだ。それでも当時、大学3年生の下田北斗は笑いながら話していた。
「メンタルが鍛えられています。体力アップにもつながっているかもしれませんね」
通学途中のサイクリングは準備運動。チームの走力トレーニングでも、さぼることはない。試合ではピッチを縦横無尽に走り回ってパスをさばき、攻撃を組み立てた。走るボランチは、どんなときも休まない。攻撃から守備に切り替われば、素早くプレスへ。無尽蔵とも思えるスタミナには、プロ関係者も目を丸くした。卒業時に下田を獲得したヴァンフォーレ甲府の森淳スカウトは、しみじみ振り返る。
「驚きの運動量でしたね。1人退場しても、下田がいれば大丈夫だろ、というくらい。2人分は動いていたと思います。自陣でも、敵陣でも仕事をしていました。あのときの専修大は長澤(和輝=浦和レッズ)のチームと言われていましたが、僕は下田がいたから勝てたと思っています」
大学2年生の秋に関東大学リーグで頭角を現すまでは、無名の存在だった。同シーズン、初めて全日本大学選抜に招集されたときは、周囲の選手から好奇の目で見られたという。
「『(出身校の)大清水高校って、どこなの?』と100回くらいは言われましたよ。僕は気にならなかったですけどね。個人の争いでは負けないと思っていましたから」