12月28日、全国高校サッカー選手権が100回大会を迎える。首都圏開催となった55回大会(1976年度)から現地観戦・取材を続ける筆者が歴史を振り返り、節目の記念大会への期待を綴る。選手権はいつの時代も予想を超え、チームの、そして選手の100パーセント以上を引き出す舞台だ。

上写真=55回大会の準決勝、静岡学園対八幡浜戦。ゴールが決まり喜ぶ静岡学園の選手たち(写真◎サッカーマガジン)

文◎国吉好弘 写真◎サッカーマガジン

【高校選手権】第100回大会・出場全48校◎登録メンバーリスト

静岡代表として初出場

 今回で第100回大会を迎える全国高校サッカー選手権は周知のように第55回大会(1976年度)から首都圏開催となった。都内に在住していた筆者もこのときから直接観戦することができるようになった。まだ大学生で前年の関西開催最後の大会は学食のテレビで浦和南高3年生の現日本サッカー協会(JFA)会長である田嶋幸三が大活躍して静岡工業を2-1と逆転して優勝したのを見た。

 翌年初めて生観戦した大会は衝撃的だった。静岡学園のサッカーがあまりにもこれまでの高校サッカーのイメージとは異なっていたからだ。全員がボールを自在に扱い、ドリブルで相手をかわし、短いパスをポンポンとつないで、対戦チームを圧倒した。

 大宮サッカー場で行なわれた3回戦で、神戸高校と対戦した静学を初めて見た。事前に情報をいろいろ集めて「御三家」の静岡代表とはいえ、藤枝東や清水東、浜名といったこれまで実績のあったチームではなく、初出場の静学がどこまで強いのか内心懐疑的だった。むしろ神戸には当時日本ユース代表にも選ばれていたFW桜木浩二がおり、彼の活躍次第では神戸が勝つ可能性もあるのではないかと思っていた。

 ところが、試合が始まるとボールをほとんど失わない静学の一方的なペースで試合は進み、前半で4-0として勝負を決めてしまった。最終的には5-0と快勝した試合でそのスコア以上に選手たちのプレーに魅せられた。1年生右ウイングの宮原真司のトリッキーなドリブル、ハットトリックを達成した160センチのCF有ケ谷二郎のゴールへの迫力、やはり1年生で双子の両HB杉山誠、実兄弟の落ち着いたプレー、そしてリベロでプレーした神保英明の効果的な攻撃参加など、それぞれの個人技に裏付けられたプレーに驚かされた。

 この当時、1会場で1日3試合が行なわれ、コンクリート打ちっぱなしのスタンドで芯から冷えたことを覚えているが、それを忘れさせてくれるような静学のプレーが3試合目だったことは幸いだった。

 静学旋風は止まらず準々決勝、準決勝も勝ち抜いて決勝に進出。そして今に語り継がれる浦和南との激戦を展開してあと一歩の4-5で敗れる。国立競技場で行われたこの試合には大勢の観客が集まり、テレビでも全国に放映されて首都圏移転は大成功だった。

55回大会の決勝、浦和南対静岡学園は5-4で浦和南が優勝を果たした