この連載では、全国高校サッカー選手権に出場し、その後Jリーガーとなった選手を当時のお宝写真とともに紹介していく。連載第6回は、第78回~80回大会編。J1歴代最多スコアラーは、選手権でも得点王に輝いていた。

ブラジルから来た闘将

◆田中マルクス闘莉王

田中マルクス闘莉王(渋谷幕張高校)

名古屋グランパス時代(2010-15,16)/◎写真◎J.LEAGUE

田中マルクス闘莉王(たなか・まるくす・とぅーりお)◎1981年4月24日生まれ、渋谷幕張高校。第79回(00年度)選手権に出場。クルゼイロの下部組織入りが決まっていたが、宗像監督の誘いでブラジルから来日。3年時は大型MFとしてチームを初の全国大会へと導いた。プロ入り後の2003年に日本国籍を取得し、日本の闘将としてW杯でも活躍。Jリーグでは浦和レッズ時代の2006年にリーグMVPを受賞した

◆今野泰幸

今野泰幸(東北高校)

ジュビロ磐田時代(2019-)/◎写真◎J.LEAGUE

今野泰幸(こんの・やすゆき)◎1983年1月25日生まれ、東北高校。第79回(00年度)選手権に出場。2回戦で2ゴールを奪うなど存在感を示し、この大会での働きがプロ入りへのステップボードに。卒業後はコンサドーレ札幌に加入し、FC東京、ガンバ大阪を経て、昨年からジュビロ磐田でプレーする。日本代表として10年、14年のW杯に2大会連続で出場

◆高松大樹

高松大樹(多々良学園高校)

大分トリニータ時代(2000-10,12-16)/◎写真◎J.LEAGUE

高松大樹(たかまつ・だいき)◎1981年9月8日生まれ、多々良学園高校(現・高川学園高校)。第76、77、78回(97、98、99年度)選手権に出場。入学当初は体格を活かしたプレーが持ち味のDFだったが、FWに転向して注目を集める存在に。高校卒業後の2000年に当時J2の大分トリニータに加入し、FC東京に期限付き移籍した2011年を除き、16年間にわたって大分でプレーした。引退後の2017年に大分市議会議員選挙に出馬し当選

◆片桐淳至

片桐淳至(岐阜工業高校)

ヴァンフォーレ甲府時代(2009-2012)/◎写真◎J.LEAGUE

片桐淳至(かたぎり・あつし)◎1983年8月1日生まれ、岐阜工業高校。第78、80回(99、01年度)選手権に出場。3年時にチームを初の決勝へと導いた不動のエース。通算6得点を挙げて得点王に輝いた。「今大会は僕の就職活動」と公言し、プロ入りが実現。名古屋グランパスエイトでは結果を残せなかったが、FC岐阜、ヴァンフォーレ甲府では主力として活躍した

◆徳永悠平

徳永悠平(国見高校)

V・ファーレン長崎時代(2018-)/◎写真◎J.LEAGUE

徳永悠平(とくなが・ゆうへい)◎1983年9月25日生まれ、国見高校。第78、79、80回(99、00、01年度)選手権に出場。運動能力の高さで最終ラインを束ねたスイーパー。選手権連覇を含む国見のタイトルラッシュに不可欠な存在だった。早稲田大を経て、プロ入り後はサイドバックとして日本代表にも選ばれた。2018年から地元のV・ファーレン長崎で奮闘する