この連載では、全国高校サッカー選手権に出場し、その後Jリーガーとなった選手を当時のお宝写真とともに紹介していく。第4回は、第72回~74回大会編。Jリーグブームが巻き起こる中、高校選手権でも華やかなスター選手が活躍した。

上写真=左から中田英寿、川口能活、城彰二(写真◎サッカーマガジン)

アイドル的人気を博したGK

 日本初のプロサッカーリーグが発足した1993年は、新語・流行語大賞に「Jリーグ」が年間大賞に選ばれるなど、サッカーの話題が日本を席巻した。年が明けて、1月1日に開幕した高校選手権の第72回大会(93年度)でも新たなスターが生まれる。その名は川口能活。安定したゴールセービングと甘いマスクで人気が急上昇し、清水商業高校(静岡)のキャプテンとして5年ぶりの優勝に大きく貢献。チームを率いた大滝雅良監督も「優勝の最大の要因は、川口能活」と語るほど、その存在感は絶大だった。

 川口とともに清水商業の守備を支えた田中誠、ベスト4に入った鹿児島実業(鹿児島)の城彰二、遠藤彰弘ら、2年後のアトランタ五輪で活躍するメンバーが多く出場していた同大会には、あの中田英寿も韮崎(山梨)の一員として出場。2回戦で姿を消したが、初戦では2得点1アシストを記録し、才能の片鱗を見せつけた。

 第73回大会(94年度)には、のちに日本代表で川口と正GK争いを繰り広げる楢﨑正剛が活躍。奈良育英(奈良)の守護神として、奈良県勢では74年ぶりの4強入りに貢献した。ファイナルは市立船橋(千葉)と帝京(東京)が激突し、市立船橋が2度目の決勝進出で悲願の初優勝を果たした。

 悪天候の中で決勝が行なわれた第74回大会(95年度)は、静岡学園(静岡)と鹿児島実業が2-2で引き分け、4大会ぶりの両校優勝で終了。ともに初優勝を飾った両チームからは、石井俊也、森川拓巳(静岡学園)、平瀬智行、久永辰徳(鹿児島実業)らがJリーガーとなっている。

◆川口能活

川口能活(清水商業高校)

SC相模原時代(2016-18)/写真◎J.LEAGUE

川口能活(かわぐち・よしかつ)◎1975年8月15日生まれ、清水商業高校。第70、72回(91、93年度)選手権に出場。GKとして大柄ではないが、俊敏な反応とダイナミックな動きで好守を連発。安定した守りとキャプテンシーは将来の姿を暗示し、日本代表としてW杯に4大会連続で参加。2018年に引退し、現在はナショナルトレーニングセンターのGKコーチを務める

◆田中誠

田中誠(清水商業高校)

ジュビロ磐田時代(1994-2008)/写真◎J.LEAGUE

田中誠(たなか・まこと)◎1975年8月8日生まれ、清水商業高校。第70、72回(91、93年度)選手権に出場。3年時に県予選から全国大会準々決勝まで無失点を続け、日本一に輝いた清水商業の守備の要。的確なカバーリングとつぶしで再三ピンチを防いだ。同級生の川口能活とはアトランタ五輪でも共闘し、のちにジュビロ磐田でもチームメイトとなった

◆中田英寿

中田英寿(韮崎高校)

ベルマーレ平塚時代(1995-98)/写真◎J.LEAGUE

中田英寿(なかた・ひでとし)◎1977年1月22日生まれ、韮崎高校。第72回(93年度)選手権に出場。言わずと知れた日本サッカー界のカリスマだが、選手権とは縁が薄く、出場は2年時の1回のみ。高校卒業後、ベルマーレ平塚を経て98年にペルージャ(イタリア)へ移籍し、海外でプレーする日本人選手のロールモデルとなった。06年ドイツW杯終了後に現役を引退し、その後は実業家として多方面で活躍する

◆奥大介

奥大介(神戸弘陵高校)

横浜F・マリノス時代(2002-06)/写真◎J.LEAGUE

奥大介(おく・だいすけ)◎1976年2月7日生まれ、神戸弘陵高校。第71、72回(92、93年度)選手権に出場。独創的なプレーでスタンドを沸かせたトリックスター。密集を巧みにすり抜けるドリブル突破と正確なパスで攻撃をリードし、3年時には8強入りに貢献。その働きがスカウトの目に留まり、卒業後にジュビロ磐田入り。横浜F・マリノスでは主将としてリーグ優勝を達成した

◆城彰二

城彰二(鹿児島実業高校)

ジェフユナイテッド市原時代(1994-96)/写真◎J.LEAGUE

城彰二(じょう・しょうじ)◎1975年6月17日生まれ、鹿児島実業高校。第70、72回(91、93年度)選手権に出場。Jリーグ開幕元年に、新時代のスター候補として注目を集めたストライカー。準々決勝で鮮やかなミドルシュートを沈めるなど、パワフルな一面を見せる一方、巧みなポストワークも際立った。プロ入り後はジェフユナイテッド市原、横浜マリノス、横浜FCなどでプレー。日本代表として98年フランスW杯に出場した