高校年代の選手やチームの物語を紡ぐ、不定期連載の第3回。今回は、無念の負傷離脱後、晴れ舞台での選手宣誓や『トルメンタ』でのベスト4進出など、激動の3週間を過ごした高川学園高の主将・奥野奨太の物語を綴る。

上写真=年末から年始にかけて激動の日々を過ごした奥野。高校サッカーは終わったが、大学でもサッカーを続ける(写真◎石倉利英)

高校選手権1週間前の負傷

 2021年12月20日、広島県の揚倉山健康運動公園・上段多目的広場。中国5県の県リーグ上位校が集まり、翌22年のプリンスリーグ中国に昇格するチームを決めるプレーオフの決勝で、高川学園高(山口)と大社高(島根)が対戦した。

 約1週間後の28日に開幕する、第100回全国高校サッカー選手権大会への出場を決めている両チームの対戦は、立ち上がりの9分に大社が先制。その後は高川学園が何度も決定機を作ったが、シュートがクロスバーに当たったり、相手GKの好セーブに阻まれたりして追い付くことができない。
 
 そのまま大社の1点リードで迎えた60分過ぎ。高川学園のDF奥野奨太が、中盤でのルーズボールの競り合いで相手選手と激しく激突した。

「その瞬間、左ヒザに感じたことがないような痛みが走りました」

 利き足を痛めた奥野はいったん外に出た後、何とかプレーを続けようとピッチに戻ったが、「左足を振ったらヒザがグラグラしていて、地面についても力がうまく入らなかった」。66分に交代し、足を引きずってベンチに戻りながら「いままでのケガとは痛みが違うのでヤバいと思い、高校サッカー引退という言葉が頭をよぎった」という。

 21年の高川学園にとって、プリンスリーグ中国への復帰は大きな目標の一つだった。試合終了間際に追加点を奪われて0-2で敗れた上に、奥野は負傷のショックも抱えて地元へと戻った。

プリンスリーグ中国昇格を懸けたプレーオフ。奥野は懸命に勝利を目指す中で負傷交代を強いられた(写真◎石倉利英)

 翌21日、朝一番で病院へ。左ヒザは水が溜まって腫れていたものの、医師からは「注射器で水を抜き、それが黄色だったら打撲程度」と言われた。

「何もなければ、と願ったのですが…」

 抜いた水には、血が混じっていた。MRIやレントゲンなど細かい検査が行なわれ、15時頃に結果が。付き添っていた両親とともに診察室へ入ると、左ヒザの内側靭帯と外側半月板を痛めており、全治5カ月と告げられた。

「自分も両親も、言葉が出ませんでした。ずっと支えてくれた両親は、自分以上にショックを受けていたと思います」

 無念の負傷で、高校サッカーの集大成となるはずだった選手権に出場できなくなった。奥野は落ち込みながらも、自分に何ができるのか考え、両親の「チームのために、少しでもできることをやっていこう」との言葉にも気持ちを奮い立たせた。

「練習中は、自分と同じ左サイドバックの山崎陽大や中村一輝のそばにいて、少しでもプレーしやすいように声を掛けました。他の選手とも、それまで以上に話をして」

 MF村上一颯、MF北健志郎とともに3人のキャプテンの一人としてチームを支え、選手権の本番を迎えた奥野にはもう一つ、大きな仕事があった。国立競技場で行なわれた開会式で、選手宣誓を務めたのだ。

 1週間前に負傷した左ヒザはテーピングでがっちり固めていた。「歩くだけで、かなり痛かった」という足をかばいながら、ゆっくり宣誓台へと向かう。

「あんな大舞台での大役が、自分にできるのか不安で…。これまでの人生で一番、緊張しました」

新国立競技場では初めてとなる選手宣誓。痛む左ヒザにはテーピングが巻かれていた(写真◎小山真司)

 途中で一度、長い沈黙があった。頭の中にあった文を一つ飛ばし、似ている次の文を口にしてしまったため、混乱して言葉が出なくなったのだ。それでも何とか大役を終え、たくさんの人から「すごくよかったよ、と言ってもらった」が、スタンドで見守った両親は「『止まったところでヒヤヒヤした』と言っていました」という。