「勝者こそ強者」の信条
バイエルンは強かった。いや、勝負強かった――と言うべきか。必ずしも敵を圧倒して伝説を築いたわけではない。
事実、チャンピオンズカップで敗退の危機に直面したことは一度や二度ではなかった。栄冠への道のりは、いつも綱渡りに近い。初優勝した1974年も1回戦はPK勝ち、2回戦は2試合合計7-6の僅差勝ちだ。さらに延長にもつれ込んだアトレティコとの決勝では敗北寸前だった。
試合終了間際にシュヴァルツェンベックが起死回生の同点ゴールを決め、辛くも当時の規定による再試合に持ち込んでいる。前述の4-0の快勝は再試合でのことだ。
連覇を果たしたリーズ(イングランド)との決勝では誤審に救われている。エリア内で相手に足をかけて倒したベッケンバウアーの明らかなファウルが不問にされ、ネットを揺らしたリーズのゴールはなぜか「オフサイド」の判定によって取り消された。
「あれは間違いなくペナルティー(PKの反則)だった」
試合後、皇帝は自らのファウルを認めている。当時のバイエルンは不思議と運にも恵まれていた。あるいは皇帝の「威光」が主審の目を微妙に曇らせたのか。
3連覇を飾るサンテティエンヌ(フランス)との決勝は防戦一方だった。新たな救いの神は2本の決定的なシュートを阻んだクロスバーだ。最後は伏兵ロートの決勝点で何とか勝利を手にした。ロートと言えば、チームきっての不屈の戦士だ。その人が最後に大仕事をやってのけるのも、ある意味ではバイエルンらしい。
苦境だろうが、劣勢だろうが、必ず勝つ。最後まで勝負をあきらめない。2年前、優勝を目前にして舞い上がるアトレティコを天空から引きずり下ろしたシュヴァルツェンベックといい、ロートといい、皇帝の脇を固める近衛兵にも勝者の精神が脈打っていた。
「フットボールは単純だ。22人がボールを奪い合い、最後は決まってドイツが勝つ」
あのメキシコ・ワールドカップ得点王ガリー・リネカー(イングランド)の名言はバイエルンにも当てはまる。彼らの信条は、この皇帝の言葉に集約されていた。
「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ」
著者プロフィール◎ほうじょう・さとし/1968年生まれ。Jリーグが始まった93年にサッカーマガジン編集部入り。日韓W杯時の日本代表担当で、2004年にワールドサッカーマガジン編集長、08年から週刊サッカーマガジン編集長となる。13年にフリーとなり、以来、メディアを問わずサッカージャナリストとして活躍中。youtube『蹴球メガネーズ』